2024年[271件]
展示室内には大きく組み上げられた「装置」が立ち並んでいるけれど、主題として提示されているのはそれらの「装置」や空間を流れ、震わせてめぐるごく小さな、かすかな何か…電気、磁力、波、音、風、光など…であったと思う。ときには、その微細なちからの蓄積が「装置」を動かし、相互に作用する。装置そのものではなくて、現象が展示されていた、という言い方もできるかも。
とても静かでとてもかすかでとてもゆっくりした目に見えないピタゴラスイッチ、とも思っていた。 風にひらめきつづける「立体」の「一瞬」を、スキャナとモニタによって平面化しつづける装置。現象と記録。しばらくここに張りついていた。
アーティゾンの収蔵作品とのコラボレーション的な部分もあり、特にクレーとコーネルの馴染みがよかったように感じた。デュシャンははっきりと本歌取りした作品があったのでまあ別として。
おとなりの戸田ビルがオープンしていたので帰りに立ち寄ってロビーの彫刻作品など見学。土曜だが祝日、という日取りのため、3Fに入居のギャラリー群はお休みで残念。
ここは、前のビルの解体からをずっとアーティゾンの窓から眺めつづけていて、いつも見ているけど立ち入れない区画だったため、「完成した建物のなかに入れる」ということがすこし不思議に思えた。
とても静かでとてもかすかでとてもゆっくりした目に見えないピタゴラスイッチ、とも思っていた。 風にひらめきつづける「立体」の「一瞬」を、スキャナとモニタによって平面化しつづける装置。現象と記録。しばらくここに張りついていた。
アーティゾンの収蔵作品とのコラボレーション的な部分もあり、特にクレーとコーネルの馴染みがよかったように感じた。デュシャンははっきりと本歌取りした作品があったのでまあ別として。
おとなりの戸田ビルがオープンしていたので帰りに立ち寄ってロビーの彫刻作品など見学。土曜だが祝日、という日取りのため、3Fに入居のギャラリー群はお休みで残念。
ここは、前のビルの解体からをずっとアーティゾンの窓から眺めつづけていて、いつも見ているけど立ち入れない区画だったため、「完成した建物のなかに入れる」ということがすこし不思議に思えた。
印刷会社による印刷文化アーカイブのハシゴをしてきた。
写植。
印博では夏に欧文活字の展示も見ていて、そちらだと活字→デジタルフォントの道筋が見えたんだけど、1セットの文字数が桁違いに多い和文の場合は、活字の段階では書体のバリエーションがそんなにできなくて、活字→写植→デジタルフォントになるんだなというのがよくわかった。
紙。
紙のてざわりを楽しみながら見本帳をつくってお土産にもらえて、テキン体験で栞も刷れてたのしかった。 館内のあちこちが活字デザインになっている。
こちらは写真家×紙の展示。写真家さんご本人がさまざまな試し刷りから念入りに作品と用紙の組み合わせを選んでつくられた展示品と作品集が置かれていた。写真のオリジナルプリントと出版印刷の中間くらいというコンセプトとのこと。竹尾さんのほうはもう週末公開日終わっていて行けなさそうだな。
写植。
印博では夏に欧文活字の展示も見ていて、そちらだと活字→デジタルフォントの道筋が見えたんだけど、1セットの文字数が桁違いに多い和文の場合は、活字の段階では書体のバリエーションがそんなにできなくて、活字→写植→デジタルフォントになるんだなというのがよくわかった。
紙。
紙のてざわりを楽しみながら見本帳をつくってお土産にもらえて、テキン体験で栞も刷れてたのしかった。 館内のあちこちが活字デザインになっている。
こちらは写真家×紙の展示。写真家さんご本人がさまざまな試し刷りから念入りに作品と用紙の組み合わせを選んでつくられた展示品と作品集が置かれていた。写真のオリジナルプリントと出版印刷の中間くらいというコンセプトとのこと。竹尾さんのほうはもう週末公開日終わっていて行けなさそうだな。
想像以上におもしろかったな。新鮮な驚きがいくつもあった。
破壊された遺跡にとって、破壊以前の詳細な調査結果がどれほどの生命線であるかということから開幕する展示。記録と写真からの書き起こしが掛け軸に軸装されているのもおもしろかったけど、大判の紙を時々眺めることを前提に保存する時、掛け軸ってかなり最適なんだよね。紙自体の重量を全面的に支えるつくりになっている。
弥勒信仰って遠い遠い未来への約束への信仰だと思っていたから、阿弥陀来迎(個人の死に際にまつわる信仰)と同様の弥勒来迎図が描かれていたことにも驚きがあった。極楽ではなく、兜率天へのお迎え。これは、56億7千万年後のことを描いているということなんだろうか…
破壊された遺跡にとって、破壊以前の詳細な調査結果がどれほどの生命線であるかということから開幕する展示。記録と写真からの書き起こしが掛け軸に軸装されているのもおもしろかったけど、大判の紙を時々眺めることを前提に保存する時、掛け軸ってかなり最適なんだよね。紙自体の重量を全面的に支えるつくりになっている。
弥勒信仰って遠い遠い未来への約束への信仰だと思っていたから、阿弥陀来迎(個人の死に際にまつわる信仰)と同様の弥勒来迎図が描かれていたことにも驚きがあった。極楽ではなく、兜率天へのお迎え。これは、56億7千万年後のことを描いているということなんだろうか…
出光美術館の休館前シリーズ4/4期。看板は若冲と伴大納言絵詞だけれど、個人的によかったのは抱一。十二ヶ月花鳥図が描いた時期違いで2セット、向かい合わせに展示されていて、モチーフや描写の違いも楽しめる。あと、種子曼荼羅で、「この種子は○○仏」を表していますではなく、「この種子で○○仏を描いています」という雰囲気のものがあってとても良かった…好きだった。文字だけど文字だけで雲中していた…。
休館前展示だから惜しみなく看板作品が並べられていて満足度高い展示でした。
展示室の入り口に過去のリーフレットの一部をずらりとあしらった看板が置かれていたけど、やはり出光で印象に残っているのは宗像大社展。出光さんがお近くのご出身で、再興に力を尽くされたご縁があっての展示だったようなので、同じ規模のものはもうなかなかないのではないか…。
帝劇ビルのリニューアル何年後かわかってませんが、無料給茶機と眺めのいい休憩スペースも継がれるといいな。
休館前展示だから惜しみなく看板作品が並べられていて満足度高い展示でした。
展示室の入り口に過去のリーフレットの一部をずらりとあしらった看板が置かれていたけど、やはり出光で印象に残っているのは宗像大社展。出光さんがお近くのご出身で、再興に力を尽くされたご縁があっての展示だったようなので、同じ規模のものはもうなかなかないのではないか…。
帝劇ビルのリニューアル何年後かわかってませんが、無料給茶機と眺めのいい休憩スペースも継がれるといいな。
マリオネットホテルの感想メモと次の配信で確認したいところ。順次追記。9/21夜公演。
最後の画像は全景配信の初見メモ。
全体的な話。
セットがクラシックかつかわいくて、ほんのりホラーみもあってとてもよかった! わたしは場の動かない話(密室劇? 室内劇?)が好きなので、そういう意味でも好きな話だったし、その「場」が素敵なお部屋ならなおうれしい。
お衣装もみんなよかったな。フリーダのスカートのひるがえり最高! フランチェスカのスカートはふくらみとたわみが最高! あと、どうもケープが好きだなと最近自覚していたところにダリちゃんのコートも最高だった!
ダリとフリーダが中心の話な時点でそれはそうなのだけど、隙あらば曲でグランギニョルとの繋がりを嗅がせてくるのなかなかだったな…音楽は感覚にうったえかけてくるので…防御貫通で効果が入る。
とはいえ、例のシーンのアレは、わたしは言われているほど動揺なくて。
(なべて結婚とは取り返しのつかない過ちである、という線でもまあ…というのは置いておくとしても)
今まで作中でどういう意味を持たされてきたとしても、「音楽」なので、祝福の音色としてアレンジされているならそういうことなんじゃないか?という気持ちもあり。だって感覚としては気持ちよく聴けてしまうから。(追記:お膳立てがどうあれ、本人たちの感情とのせめぎ合いでああなっているのであれば、あのシーンってもしかして運命と個人の意思のバトルシーンなのかもしれないな…ムンク氏のセリフで運命があるならみんな人形だよっていうのあったし…フリーダ様は意思のちからを信じて生きるタイプだし…)
あと…なんていうのか…生きていくうえでのどんな選択だって、取り返しがつかないという点においてはどれも等しく、それが過ちであったかどうかというラベル付けは、過去として振り返ったときにはじめて成立するじゃん…命のやりとりとかは別として…。1秒後かもしれないし10年後かもしれない、1000年後に振り返るのかもしれないが、とにかく、選択したその瞬間にはまだ答え合わせは成立しない。フリーダの言う予知夢が本当に予知夢だったとして、「途切れて」いるからには彼女にとっても、あの瞬間には過ちでもなんでもなく。
ひとりだけ、エゴだけは、あの瞬間にも絶望と対峙していたのかもしれず、あの場面で「ライネス」がいわゆる「ライネス」の効果を持つのであれば、エゴにとってはそうだろうよ、とは思っている。
個人的には、(グランギニョルでは愛加さんが兼役のほうで歌った)「黒き夜」をフリーダが歌ったことのほうが衝撃でかかったな。グランギニョルの中で本格的にグランギニョルが開始したのはあのシーンからだと思っているため…。
それとラストの梅津瑞樹劇場でトラジェディが回旋し出したところは、このエンディングからグランギニョルのオープニング直結なんだと思考でなく感覚に叩き込まれた感があった。
そう、梅津さん。全景配信を見た時は、梅津さん普通にありとあらゆる梅津さんをやっていらしてすごいなあ(すえみっさん楽しかっただろうなあ)くらいの感想だったのだが、現地でしかも前方センター付近という位置で見た梅津さんのTRUMP降臨シーンあまりにものすごくて「これは見たことのない梅津瑞樹だ…」と目が釘付けでしたね。見られてよかったし、こういうの見たかったとも思った。
これがやりたかったから梅津さんだったのか、梅津さんだったからこれをやったのかは知りようもないが、陳内さんとの無二の相方役をつとめたことがあり、山浦さんとばちばちの舌戦を演じたことのある(しかもすえみっさんの脚演で)梅津さんが、TRUMP…というのは後からやっぱり思ってしまったしちょっと呻いた。中の人がいるお話って…こういうところもちょっとおもしろいな。
とうとう梅津さんがTRUMP出るぞ!となったとき、こんなこと言ってたけど、ここまでとは思っていなかったよ…。
エゴとシャルロッテ、次の配信でちゃんと確認したい。エゴ/エマの綱引き具合・共存具合をシャルロッテから測れないかなとちょっと思っており…
・エゴが、他者とのあいだにシャルロッテ挟んでいるように見えていたけどいつもそうなのか。相手によるのか。
・シャルロッテおねんね中に直接会話した相手は誰だったか。
・シャルロッテを携えたエゴと、単独のエゴで、違いが見えるか。
エゴの名前ってもう「エゴ」である時点でインパクト特大だけど、他の人たちのように画家の名前に元ネタあるんだろうか。フリーダがフリーダなのだから、エゴもあってもいいんだよなあ。…で、しばらく考えてみてエゴン・シーレが近似値かなと思ったり。(幼少期は自分の姉妹に挟まれていて、結婚後は妻の姉とも繋がりあったというあたりとか)
そういえば、上司部下で同じ画家の名前(元ネタ)分けて使うんだ?と思ってたら舞台上で一体存在になっていてびっくりしましたね…そんなことある?(あった)
イニシアチブによる人格コピーのわりと詳細な説明が今回出てきたけど、思ってたより面倒だったし、完コピではなくどちらかというと「継承」に近いものだったのは意外だったかもしれない。コピーというよりむしろ洗脳に近いと思ったんだけど、人格ごと入り込むんだよね…むずかしい。
クロードの場合は1世代きりだからいいとして(コピー先にコピー元へ対する濃いめの感情があるけどそのぶんのブレが出たりはしないのかな、とは思っている)、ダミアンストーンの場合脈々と継がれているからちょっとずつズレてオリジナルから離れていってるでしょ…。
あと、トランプ降ろしたら依り代(便宜上、依り代と表現)の肉体まで不老不死になるのどういうしくみなんだ…
あ、あと、イニシアチブ実験を断固拒んだエゴはエゴなのか。フリーダのリクエストに従って「歌って欲しい」と命じたのはエゴなのか。エゴの中にイニシアチブリング通ってる回路(人格)と通ってない回路があるわけじゃん…拒んだときは「通らないから」だったとしたら…? あと、フランチェスカのイニシアチブとエマ・ダミアンのイニシアチブは同時に存在していると思うんだけど、同じ回路通ってる?
ええと、シルベチカとリコリスって普通の(?)多重人格だったと思うんだけど、あれでファルスのイニシアチブが通ったり通らなかったりするのなら、エゴの内部にも、エマ・ダミアンだけじゃなく、エゴ自身の分裂人格があって、イニシアチブが通ったり通らなかったりする、のか? あー、お姉様の幸せを願うエゴと、「美しい死」に魅入られたエゴはもはや分裂している、とか? シャルロッテもたぶん何らかの分裂エゴに近いものなんだと思うんだよな…
追記:イニシアチブリング通っててトランプを降臨させたのがエマさん人格で、お姉様にイニシアチブ通せないのがエゴくん人格と最初考えたんだよね、そうするとフリーダに「黒き夜」歌わせた選曲までエマさんかもしれなくてぞくぞくするな、と。ただ、フランチェスカにこき使われてるのもエマさんになっちゃうのでちょっと面白くなってしまって…もうちょっと別の分裂人格も考えに入れたくなったのだった。
追記:
フリーダとエゴが姉弟でどちらも繭期時代に予知夢のイレギュラー持ちだったけど、血縁で同じ症状(能力)が出やすいみたいなことあるんだろうかと思ってぽちぽちぐぐっていたら、オズとサトクリフの兄弟設定に言及しているすえみっさんのツイートに行き当たってしまった…あそこもまあ、どちらも未来視の一種だよね…
そして、シルベチカも自分の死という予知夢は見ているんだよなあ…
フリーダ:予知夢(自分の未来)、アレン症候群
エゴ:予知夢(フリーダの未来?)、アレン症候群、(多重人格を疑っている)(わたしが)
オズ:未来視(キキの向こうに遠い未来のガーベラを見る)
サトクリフ:未来の死を見る(触れた相手のだっけ?)
シルベチカ:予知夢(自らの死)、二重人格(リコリス)
追記:モネ卿が条件満たした人数揃えるのに15年もかかってしまったみたいなこと言ってたけど、アレン症候群かつダリちゃんの縁者、という部分で、元デリコ家使用人だったホテリエのみなさんは、ダリちゃんとの縁を結ぶためにモネ卿がデリコ家に斡旋してたとかもありそうね。
最後の画像は全景配信の初見メモ。
全体的な話。
セットがクラシックかつかわいくて、ほんのりホラーみもあってとてもよかった! わたしは場の動かない話(密室劇? 室内劇?)が好きなので、そういう意味でも好きな話だったし、その「場」が素敵なお部屋ならなおうれしい。
お衣装もみんなよかったな。フリーダのスカートのひるがえり最高! フランチェスカのスカートはふくらみとたわみが最高! あと、どうもケープが好きだなと最近自覚していたところにダリちゃんのコートも最高だった!
ダリとフリーダが中心の話な時点でそれはそうなのだけど、隙あらば曲でグランギニョルとの繋がりを嗅がせてくるのなかなかだったな…音楽は感覚にうったえかけてくるので…防御貫通で効果が入る。
とはいえ、例のシーンのアレは、わたしは言われているほど動揺なくて。
(なべて結婚とは取り返しのつかない過ちである、という線でもまあ…というのは置いておくとしても)
今まで作中でどういう意味を持たされてきたとしても、「音楽」なので、祝福の音色としてアレンジされているならそういうことなんじゃないか?という気持ちもあり。だって感覚としては気持ちよく聴けてしまうから。(追記:お膳立てがどうあれ、本人たちの感情とのせめぎ合いでああなっているのであれば、あのシーンってもしかして運命と個人の意思のバトルシーンなのかもしれないな…ムンク氏のセリフで運命があるならみんな人形だよっていうのあったし…フリーダ様は意思のちからを信じて生きるタイプだし…)
あと…なんていうのか…生きていくうえでのどんな選択だって、取り返しがつかないという点においてはどれも等しく、それが過ちであったかどうかというラベル付けは、過去として振り返ったときにはじめて成立するじゃん…命のやりとりとかは別として…。1秒後かもしれないし10年後かもしれない、1000年後に振り返るのかもしれないが、とにかく、選択したその瞬間にはまだ答え合わせは成立しない。フリーダの言う予知夢が本当に予知夢だったとして、「途切れて」いるからには彼女にとっても、あの瞬間には過ちでもなんでもなく。
ひとりだけ、エゴだけは、あの瞬間にも絶望と対峙していたのかもしれず、あの場面で「ライネス」がいわゆる「ライネス」の効果を持つのであれば、エゴにとってはそうだろうよ、とは思っている。
個人的には、(グランギニョルでは愛加さんが兼役のほうで歌った)「黒き夜」をフリーダが歌ったことのほうが衝撃でかかったな。グランギニョルの中で本格的にグランギニョルが開始したのはあのシーンからだと思っているため…。
それとラストの梅津瑞樹劇場でトラジェディが回旋し出したところは、このエンディングからグランギニョルのオープニング直結なんだと思考でなく感覚に叩き込まれた感があった。
そう、梅津さん。全景配信を見た時は、梅津さん普通にありとあらゆる梅津さんをやっていらしてすごいなあ(すえみっさん楽しかっただろうなあ)くらいの感想だったのだが、現地でしかも前方センター付近という位置で見た梅津さんのTRUMP降臨シーンあまりにものすごくて「これは見たことのない梅津瑞樹だ…」と目が釘付けでしたね。見られてよかったし、こういうの見たかったとも思った。
これがやりたかったから梅津さんだったのか、梅津さんだったからこれをやったのかは知りようもないが、陳内さんとの無二の相方役をつとめたことがあり、山浦さんとばちばちの舌戦を演じたことのある(しかもすえみっさんの脚演で)梅津さんが、TRUMP…というのは後からやっぱり思ってしまったしちょっと呻いた。中の人がいるお話って…こういうところもちょっとおもしろいな。
とうとう梅津さんがTRUMP出るぞ!となったとき、こんなこと言ってたけど、ここまでとは思っていなかったよ…。
(あの日はじ繭でグランギニョル見る前にヴァニタスなんて名前のひとが端役なわけなくない?って思ったものだけども、いま、エゴなんて名前のひとがキーマンじゃないわけなくない?という気持ち)
午後7:31 · 2024年6月7日
x.com/3000_meters/status/179902645545803...
エゴとシャルロッテ、次の配信でちゃんと確認したい。エゴ/エマの綱引き具合・共存具合をシャルロッテから測れないかなとちょっと思っており…
・エゴが、他者とのあいだにシャルロッテ挟んでいるように見えていたけどいつもそうなのか。相手によるのか。
・シャルロッテおねんね中に直接会話した相手は誰だったか。
・シャルロッテを携えたエゴと、単独のエゴで、違いが見えるか。
エゴの名前ってもう「エゴ」である時点でインパクト特大だけど、他の人たちのように画家の名前に元ネタあるんだろうか。フリーダがフリーダなのだから、エゴもあってもいいんだよなあ。…で、しばらく考えてみてエゴン・シーレが近似値かなと思ったり。(幼少期は自分の姉妹に挟まれていて、結婚後は妻の姉とも繋がりあったというあたりとか)
そういえば、上司部下で同じ画家の名前(元ネタ)分けて使うんだ?と思ってたら舞台上で一体存在になっていてびっくりしましたね…そんなことある?(あった)
イニシアチブによる人格コピーのわりと詳細な説明が今回出てきたけど、思ってたより面倒だったし、完コピではなくどちらかというと「継承」に近いものだったのは意外だったかもしれない。コピーというよりむしろ洗脳に近いと思ったんだけど、人格ごと入り込むんだよね…むずかしい。
クロードの場合は1世代きりだからいいとして(コピー先にコピー元へ対する濃いめの感情があるけどそのぶんのブレが出たりはしないのかな、とは思っている)、ダミアンストーンの場合脈々と継がれているからちょっとずつズレてオリジナルから離れていってるでしょ…。
あと、トランプ降ろしたら依り代(便宜上、依り代と表現)の肉体まで不老不死になるのどういうしくみなんだ…
あ、あと、イニシアチブ実験を断固拒んだエゴはエゴなのか。フリーダのリクエストに従って「歌って欲しい」と命じたのはエゴなのか。エゴの中にイニシアチブリング通ってる回路(人格)と通ってない回路があるわけじゃん…拒んだときは「通らないから」だったとしたら…? あと、フランチェスカのイニシアチブとエマ・ダミアンのイニシアチブは同時に存在していると思うんだけど、同じ回路通ってる?
ええと、シルベチカとリコリスって普通の(?)多重人格だったと思うんだけど、あれでファルスのイニシアチブが通ったり通らなかったりするのなら、エゴの内部にも、エマ・ダミアンだけじゃなく、エゴ自身の分裂人格があって、イニシアチブが通ったり通らなかったりする、のか? あー、お姉様の幸せを願うエゴと、「美しい死」に魅入られたエゴはもはや分裂している、とか? シャルロッテもたぶん何らかの分裂エゴに近いものなんだと思うんだよな…
追記:イニシアチブリング通っててトランプを降臨させたのがエマさん人格で、お姉様にイニシアチブ通せないのがエゴくん人格と最初考えたんだよね、そうするとフリーダに「黒き夜」歌わせた選曲までエマさんかもしれなくてぞくぞくするな、と。ただ、フランチェスカにこき使われてるのもエマさんになっちゃうのでちょっと面白くなってしまって…もうちょっと別の分裂人格も考えに入れたくなったのだった。
追記:
フリーダとエゴが姉弟でどちらも繭期時代に予知夢のイレギュラー持ちだったけど、血縁で同じ症状(能力)が出やすいみたいなことあるんだろうかと思ってぽちぽちぐぐっていたら、オズとサトクリフの兄弟設定に言及しているすえみっさんのツイートに行き当たってしまった…あそこもまあ、どちらも未来視の一種だよね…
そして、シルベチカも自分の死という予知夢は見ているんだよなあ…
フリーダ:予知夢(自分の未来)、アレン症候群
エゴ:予知夢(フリーダの未来?)、アレン症候群、(多重人格を疑っている)(わたしが)
オズ:未来視(キキの向こうに遠い未来のガーベラを見る)
サトクリフ:未来の死を見る(触れた相手のだっけ?)
シルベチカ:予知夢(自らの死)、二重人格(リコリス)
追記:モネ卿が条件満たした人数揃えるのに15年もかかってしまったみたいなこと言ってたけど、アレン症候群かつダリちゃんの縁者、という部分で、元デリコ家使用人だったホテリエのみなさんは、ダリちゃんとの縁を結ぶためにモネ卿がデリコ家に斡旋してたとかもありそうね。
そしてマリオネットホテルにチェックイン。おもしろかった~!
TRUMPシリーズはじめての友人と一緒だったのだけど、とっても楽しめたようでよかったよかった。基本設定のレクチャーもあったし、今までふわっとしてた設定が細かく明かされた部分もあったから、ここから入るのもわかりやすくてよいかもしれないな。(ラスト付近のあれこれから何かを察して「この後のお話見たくないよ~!」」と言われるおそれはあるけれども)(言われた)
帰り、電車に乗る前に塩分とアルコールが欲しくて飲食店あるほうにふらっと歩いて行ったら、えっ、デリコ?? となって入ったバル。ふらっと入ったけどいいお店だったのでまた行きたい。どうも、一部の繭期の方には知られたお店みたいだったな。
これは観劇前の糖分補給。期間限定出店のカフェだったけど、ケーキとソースとトッピングを選んでオーダーシートを作り、味変しながら食べるというコンセプトのお店でおもしろかった。ケーキもおいしかった。
TRUMPシリーズはじめての友人と一緒だったのだけど、とっても楽しめたようでよかったよかった。基本設定のレクチャーもあったし、今までふわっとしてた設定が細かく明かされた部分もあったから、ここから入るのもわかりやすくてよいかもしれないな。(ラスト付近のあれこれから何かを察して「この後のお話見たくないよ~!」」と言われるおそれはあるけれども)(言われた)
帰り、電車に乗る前に塩分とアルコールが欲しくて飲食店あるほうにふらっと歩いて行ったら、えっ、デリコ?? となって入ったバル。ふらっと入ったけどいいお店だったのでまた行きたい。どうも、一部の繭期の方には知られたお店みたいだったな。
これは観劇前の糖分補給。期間限定出店のカフェだったけど、ケーキとソースとトッピングを選んでオーダーシートを作り、味変しながら食べるというコンセプトのお店でおもしろかった。ケーキもおいしかった。
お久しぶりの未来科学館。
リニューアル後初めてだったけど、時間の関係で常設はまた今度に。
展示の最後にオリジナル刀剣男士を出力させるコーナーがあり。大福切丸々、みたいな名前にしたいなあと言っていたけど、あまり大福っぽくない子が顕現した。涼味があるし、どちらかというと葛切丸という感じか。 月と地球のツーショット
展示内容は充実していて面白かったんだけど、子ども向けのひらがなパネルから何の前置きもなく分子の結晶構造の話(たぶん)まで、レベル感がゾーンによってがたがただったの逆に面白くなってしまったな。
最後のお部屋の今剣先生のナレーションでちょっと泣きました。
移動して心伝コラボカフェ。
シブツタでやるようになってから、普通にごはんが美味しくて助かりますね、もちちかさん友達が頼んだ孫さんのドリンク、小枝(菓子)とミントがあしらわれており、「枝葉じゃん」「飲んでいいものなの?」という会話が発生した。
セットの模型に舞台幕のたぶん時系列の設定が記載されていた。幕と映像でめまぐるしい転換のある作品だったからな。こういうものが見られるの大変うれしい。
リニューアル後初めてだったけど、時間の関係で常設はまた今度に。
展示の最後にオリジナル刀剣男士を出力させるコーナーがあり。大福切丸々、みたいな名前にしたいなあと言っていたけど、あまり大福っぽくない子が顕現した。涼味があるし、どちらかというと葛切丸という感じか。 月と地球のツーショット
展示内容は充実していて面白かったんだけど、子ども向けのひらがなパネルから何の前置きもなく分子の結晶構造の話(たぶん)まで、レベル感がゾーンによってがたがただったの逆に面白くなってしまったな。
最後のお部屋の今剣先生のナレーションでちょっと泣きました。
移動して心伝コラボカフェ。
シブツタでやるようになってから、普通にごはんが美味しくて助かりますね、もちちかさん友達が頼んだ孫さんのドリンク、小枝(菓子)とミントがあしらわれており、「枝葉じゃん」「飲んでいいものなの?」という会話が発生した。
セットの模型に舞台幕のたぶん時系列の設定が記載されていた。幕と映像でめまぐるしい転換のある作品だったからな。こういうものが見られるの大変うれしい。
いっこまえの記事に一緒に書くのちょっと(画像に対して)ひどいような気がしたので分ける。
そういえばわたし、カップリング萌えというものへの本格的な目覚め、見立ての文脈からだったと思うんだよな…。
感情のことを言われてもよく分からないけれど、見立ての文脈でAとBの関係性を読み替えることはとてもよくわかる、と、今でもときどき思う。任意のふたりをいったん概念に昇華した方が腑に落ちるみたいなことを昔はよく言っていたな…
そういえばわたし、カップリング萌えというものへの本格的な目覚め、見立ての文脈からだったと思うんだよな…。
感情のことを言われてもよく分からないけれど、見立ての文脈でAとBの関係性を読み替えることはとてもよくわかる、と、今でもときどき思う。任意のふたりをいったん概念に昇華した方が腑に落ちるみたいなことを昔はよく言っていたな…
小中学生の頃から貧血だと言われてつづけてきた人生だったし、2年前?の健康診断ではとうとう貧血D判定をくらっていた自分が、本日、検診後の結果と指導の説明時間で、なんと、基準値内と言っていただけた! えっ本当ですか!って喜色満面で反応してしまった。貧血じゃないわたし、こんにちは!
毎朝欠かさずミロを飲み続けたのもよかったと思うが、月経の回数がだいたい1/3くらい、1回あたりの日数も2/3くらいになってきてるもんね。指導医さんも月経減ってますからねそれも大きいですねとおっしゃっていた。やっぱり毎月生命力削がれるんだよ、あれは…。
年齢を重ねることで「あきらかに良くなる」「身軽になる」ことがあるのって、いいなあ。このまま、別の要因で貧血と再会しないように気をつけていこう。
毎朝欠かさずミロを飲み続けたのもよかったと思うが、月経の回数がだいたい1/3くらい、1回あたりの日数も2/3くらいになってきてるもんね。指導医さんも月経減ってますからねそれも大きいですねとおっしゃっていた。やっぱり毎月生命力削がれるんだよ、あれは…。
年齢を重ねることで「あきらかに良くなる」「身軽になる」ことがあるのって、いいなあ。このまま、別の要因で貧血と再会しないように気をつけていこう。
スパンアートギャラリー「種村季弘没後二十年 綺想の美術回廊(第一部)」
都美「大地に耳をすます 気配と手ざわり」
種村氏生前に交流のあった作家さん等の作品を集めた展示。澁澤龍彦、瀧口修造、星新一、稲垣足穂らと交わした書簡なども見ることができた。
書簡の相手先各位の並びや、四谷シモンさん、金子國義さんなどの作品が置いてあるのはわかるんだけど、それ以外にも、わたしが澁澤や種村の本を読むようになる(高校時代)以前、MOEとか詩とメルヘンのラインで知っていた(中学時代)作家さんここに繋がってたんだ…が、今更のようにあって、なかなかだった。滑り込んでおいてよかったな。
最近、一周回って、十代の頃に好きだったものに繋がってるとか、触れるものが先祖返りしてるみたいなことが、ちょいちょいある…
都美。先に見に行っていた家族から、とても良かったと聞いていたのだけど、本当に良かった。
5人の作家さんの作品が、ひとり1室で展示されており、それぞれのボリュームがちょっとした個展。じっくりと味わうことができたのもよかった。
北の果てに移住した人の作品のあとに、南の島に移住した人の作品を見ることになったの、なかなか、こう、自分の中で感じ取って、噛み砕くものが多かったな…という感じもあった。
以前、横須賀でミロコマチコさん見た時、こんなキャプションがあったけれども、
x.com/3000_meters/status/149235312589813...
今回見た作品に、「たくさんのいきものでできている体」というのがあって、ついに…たくさんのいきものがどうじに! という感動もありました。
以下、妄言(何かの展示を見て自分の中に思考や言葉がうずまくとき、作品はきっかけにすぎないので、それらの思考や言葉はすべて作品の感想ではなく、わたしの妄言…)
・死と生というのは「いのち」というひとつの現象の裏と表であって、ただ、見る角度が違うだけだと思うのだけど、この都美の展示、特に川村さん(北の果て)とミロコマチコさん(南の島)の作品は生の側からのものだなあ。ただ、こう、押しつけがましい感じはそんなにしなかったな…生の側のものを押しつけがましい、眩しすぎ、と感じることはままあるのだけど。
・北のいのちといのちは表面で触れ合う、ぶつかり合うイメージ。内面を開くとはそれは内臓のことであって、いちばん熱い部分を見せたら、そのあとは冷たくなっていってしまう、というような…。
・南のいのちはいきなりがばっと両腕とこころをひらいてくるイメージ。おくちも開いている…。腹とかくちのなかとか、やわらかくてあったかいところがいきなり剥き出し…。
・冷たい風に梳かれて輪郭を薄く削がれている時にもっともいのちのかたちがはっきりするような気がする、というわたしの感覚、やっぱりどちらかというと北の側なんだな…
都美「大地に耳をすます 気配と手ざわり」
種村氏生前に交流のあった作家さん等の作品を集めた展示。澁澤龍彦、瀧口修造、星新一、稲垣足穂らと交わした書簡なども見ることができた。
書簡の相手先各位の並びや、四谷シモンさん、金子國義さんなどの作品が置いてあるのはわかるんだけど、それ以外にも、わたしが澁澤や種村の本を読むようになる(高校時代)以前、MOEとか詩とメルヘンのラインで知っていた(中学時代)作家さんここに繋がってたんだ…が、今更のようにあって、なかなかだった。滑り込んでおいてよかったな。
最近、一周回って、十代の頃に好きだったものに繋がってるとか、触れるものが先祖返りしてるみたいなことが、ちょいちょいある…
都美。先に見に行っていた家族から、とても良かったと聞いていたのだけど、本当に良かった。
5人の作家さんの作品が、ひとり1室で展示されており、それぞれのボリュームがちょっとした個展。じっくりと味わうことができたのもよかった。
北の果てに移住した人の作品のあとに、南の島に移住した人の作品を見ることになったの、なかなか、こう、自分の中で感じ取って、噛み砕くものが多かったな…という感じもあった。
以前、横須賀でミロコマチコさん見た時、こんなキャプションがあったけれども、
x.com/3000_meters/status/149235312589813...
今回見た作品に、「たくさんのいきものでできている体」というのがあって、ついに…たくさんのいきものがどうじに! という感動もありました。
以下、妄言(何かの展示を見て自分の中に思考や言葉がうずまくとき、作品はきっかけにすぎないので、それらの思考や言葉はすべて作品の感想ではなく、わたしの妄言…)
・死と生というのは「いのち」というひとつの現象の裏と表であって、ただ、見る角度が違うだけだと思うのだけど、この都美の展示、特に川村さん(北の果て)とミロコマチコさん(南の島)の作品は生の側からのものだなあ。ただ、こう、押しつけがましい感じはそんなにしなかったな…生の側のものを押しつけがましい、眩しすぎ、と感じることはままあるのだけど。
・北のいのちといのちは表面で触れ合う、ぶつかり合うイメージ。内面を開くとはそれは内臓のことであって、いちばん熱い部分を見せたら、そのあとは冷たくなっていってしまう、というような…。
・南のいのちはいきなりがばっと両腕とこころをひらいてくるイメージ。おくちも開いている…。腹とかくちのなかとか、やわらかくてあったかいところがいきなり剥き出し…。
・冷たい風に梳かれて輪郭を薄く削がれている時にもっともいのちのかたちがはっきりするような気がする、というわたしの感覚、やっぱりどちらかというと北の側なんだな…
き、来たぞ~、間に合った!!
国際版画美術館、興味深い展示を掛けてくれるしとても良い館なのだけど、駅からまあまあ歩くから暑い時期にはなかなか足が向かない。あと7月は週末の予定が埋まりすぎていた。とはいえ、この展示は第一報から楽しみにしていたものなので絶対絶対行くんだよ、という強い意思のもと、やっとこさ。ピーク時に比べたら最高気温が3、4度低めになってきたのも助かった。
めーちゃくちゃ良かった。行って良かった。清原啓子と門坂流。 どれもこれも画面の密度が大変高く、受け取る情報量が多い。大変お腹が空いた。中途半端な時間だったけれど駅前で食べてから向かって良かった。展示室を出てすぐ館の喫茶で軽く追加を食べました。おかげで1日4食になった。
わたしは、にんげんのからだという物体があまり好きではない。が、美術館に通っていると「曲線」というものに魅力、美やエロスを感じることがわりとあり(そもそも、子どもの頃はじめてエロスを感じた物体は空き地に捨てられやわらかに錆びた洗面台の裏側だった)、そういう「曲線」は絵画の画面上では人体に与えられがちだよなあ…ということを、大変強く意識した展示エリアもあった。高校生の時だったらあのあたりの展示がいちばん好きだったかもなあ…ベルメールあったし。
フェティシズムって部分へのフォーカスだから、対象がたとえ人体だとしてもそれを物体として解体していく感じが強いな、と思うのだけど、そこに浮かびあがるエロスって…何だろうな…という気分。エロスとタナトスの隣接ってわりと言われがちだし、そういう側面わかるんだけど、この方向に歩いて来てもそれあるんだーという感想を持った。
そして、ひたすらに線の美しさをえんえんと見ていられるという点では、門坂流作品が本当に良かった。何往復もしてしまった。何が描かれていても線にすごみがありすぎて、「何」よりも「線」を見てしまう。とはいえ「線」がより活きる画題というのはあるように思われ、波や雲などのスケール感があって静止していないもの、が特に好きでした。
清原啓子は最初からお目当てだったので置いておくとして、あと特に好きだったのはエリック・デマジエールと星野美智子の展示ゾーン。ふたりともボルヘスの「バベルの図書館」を画題にしていて、特にデマジエールのもう何だかようわからん域の遠近法と構図は圧倒的だった。(そして、今回のキャプションでのピラネージポイントはここでした。国際版美のピラネージへの言及好きなので、今回はここだ~!と変な喜び方をしてしまう)
ところで清原啓子の作品集、普通にショップに置いてあったので奥付を見たら、2022年に3刷が出ていたんですね…。わたしが必死に探し回って中古ブックを購入したの、ちょうど2刷が尽きた頃だったんだなあ…。今なら新品が買える。
今回の展示の図録はありませんでした。完売ではなく存在が無だった模様。代わりに?A5サイズ16Pのフルカラー図版付解説冊子がもらえる。なんか、このタイミングで図録が出ないの、建替え再開発とかのからみかなあ…と勘ぐってしまう。
国際版画美術館、興味深い展示を掛けてくれるしとても良い館なのだけど、駅からまあまあ歩くから暑い時期にはなかなか足が向かない。あと7月は週末の予定が埋まりすぎていた。とはいえ、この展示は第一報から楽しみにしていたものなので絶対絶対行くんだよ、という強い意思のもと、やっとこさ。ピーク時に比べたら最高気温が3、4度低めになってきたのも助かった。
めーちゃくちゃ良かった。行って良かった。清原啓子と門坂流。 どれもこれも画面の密度が大変高く、受け取る情報量が多い。大変お腹が空いた。中途半端な時間だったけれど駅前で食べてから向かって良かった。展示室を出てすぐ館の喫茶で軽く追加を食べました。おかげで1日4食になった。
わたしは、にんげんのからだという物体があまり好きではない。が、美術館に通っていると「曲線」というものに魅力、美やエロスを感じることがわりとあり(そもそも、子どもの頃はじめてエロスを感じた物体は空き地に捨てられやわらかに錆びた洗面台の裏側だった)、そういう「曲線」は絵画の画面上では人体に与えられがちだよなあ…ということを、大変強く意識した展示エリアもあった。高校生の時だったらあのあたりの展示がいちばん好きだったかもなあ…ベルメールあったし。
フェティシズムって部分へのフォーカスだから、対象がたとえ人体だとしてもそれを物体として解体していく感じが強いな、と思うのだけど、そこに浮かびあがるエロスって…何だろうな…という気分。エロスとタナトスの隣接ってわりと言われがちだし、そういう側面わかるんだけど、この方向に歩いて来てもそれあるんだーという感想を持った。
そして、ひたすらに線の美しさをえんえんと見ていられるという点では、門坂流作品が本当に良かった。何往復もしてしまった。何が描かれていても線にすごみがありすぎて、「何」よりも「線」を見てしまう。とはいえ「線」がより活きる画題というのはあるように思われ、波や雲などのスケール感があって静止していないもの、が特に好きでした。
清原啓子は最初からお目当てだったので置いておくとして、あと特に好きだったのはエリック・デマジエールと星野美智子の展示ゾーン。ふたりともボルヘスの「バベルの図書館」を画題にしていて、特にデマジエールのもう何だかようわからん域の遠近法と構図は圧倒的だった。(そして、今回のキャプションでのピラネージポイントはここでした。国際版美のピラネージへの言及好きなので、今回はここだ~!と変な喜び方をしてしまう)
ところで清原啓子の作品集、普通にショップに置いてあったので奥付を見たら、2022年に3刷が出ていたんですね…。わたしが必死に探し回って中古ブックを購入したの、ちょうど2刷が尽きた頃だったんだなあ…。今なら新品が買える。
今回の展示の図録はありませんでした。完売ではなく存在が無だった模様。代わりに?A5サイズ16Pのフルカラー図版付解説冊子がもらえる。なんか、このタイミングで図録が出ないの、建替え再開発とかのからみかなあ…と勘ぐってしまう。
ログストを何度も噛み締めている…味…
あいだにひとり挟まっているのが本当に…良き…しかも食べ物がらみなんですよ。これこそ「変化」の象徴なんだなと思ったし、挟まってるのがファウストなのも本当に良い…
#mh
あいだにひとり挟まっているのが本当に…良き…しかも食べ物がらみなんですよ。これこそ「変化」の象徴なんだなと思ったし、挟まってるのがファウストなのも本当に良い…
#mh
冒頭の小説2編、どちらもとてもよかった。そうだ、こういう味の時間を過ごすのが好きだったな…とじわじわ思い出すような感覚。どちらも短編だったけど、小説をきちんと読み通したのは、もうずいぶんと久しぶり。
文學界を買ったので文學界をめくっている。袋も表紙も不要ですと伝えたところ、では栞だけ挟んでおきますねと丸善の人が挟んでくれた栞、今見たら2枚重なっていた。ざっと目次に目を通して、そういえばこの号を買お...
(2024.8.18(Sun) 18:01:40)
aqu.a-scape.net/?postid=71616
文學界を買ったので文學界をめくっている。
袋もカバーも不要ですと伝えたところ、では栞だけ挟んでおきますねと丸善の人が挟んでくれた栞、今見たら2枚重なっていた。ざっと目次に目を通して、そういえばこの号を買おうと思ったの、山中さんと安田さんの連作が読みたかったからだったと思い出したので、2箇所に2枚の栞を挟むことにする。
はるかな過去に短歌の読者になろうとしたとき、「単なる読者」の居場所がどこにもないことに深い恨みを抱いたため、未だに短歌誌を手に取ることはあまりないのだが(自分の恨み深さを実感できるという感謝はある)(あの頃、短歌ヴァーサスに出会えなかったらさらに恨みは深くなっていたと思う)、文芸誌というものは読者に向けて編集されているのでそれだけで安心感がある。
だから、文芸誌に短歌載ってくれるとありがたいな。
中高時代は文藝、海燕、しばし離れていた時期を経て新潮、比較的最近だとスピン、すばる…等、手が伸びがちな個々の雑誌に変遷はあれ、「文芸誌」というもののフォーマットは横(種)にも縦(時代)にもわりと変わりがなくて、馴染みもあるし。
(目次等の物理的フォーマットで言うなら、ユリイカとかも親戚筋の認識あり)
とはいえ、ちょっと前までの文學界は表紙が毎号苦手すぎて買うことができずにいたのであった(こっち見んな!とおびえていた)。1度だけどうしても掲載作が気になって買ったものは表紙にファンシーペーパーを貼り付けてある。
今はそんなこともなく、買いたいと思った号は買える。
水色と茶色の組み合わせはテッパンでかわいいという認識があるため、最新号などとてもかわいい。配色がまるでデパ地下だな、と思っている。うきうき買った。本はうきうき買いたいよな。
袋もカバーも不要ですと伝えたところ、では栞だけ挟んでおきますねと丸善の人が挟んでくれた栞、今見たら2枚重なっていた。ざっと目次に目を通して、そういえばこの号を買おうと思ったの、山中さんと安田さんの連作が読みたかったからだったと思い出したので、2箇所に2枚の栞を挟むことにする。
はるかな過去に短歌の読者になろうとしたとき、「単なる読者」の居場所がどこにもないことに深い恨みを抱いたため、未だに短歌誌を手に取ることはあまりないのだが(自分の恨み深さを実感できるという感謝はある)(あの頃、短歌ヴァーサスに出会えなかったらさらに恨みは深くなっていたと思う)、文芸誌というものは読者に向けて編集されているのでそれだけで安心感がある。
だから、文芸誌に短歌載ってくれるとありがたいな。
中高時代は文藝、海燕、しばし離れていた時期を経て新潮、比較的最近だとスピン、すばる…等、手が伸びがちな個々の雑誌に変遷はあれ、「文芸誌」というもののフォーマットは横(種)にも縦(時代)にもわりと変わりがなくて、馴染みもあるし。
(目次等の物理的フォーマットで言うなら、ユリイカとかも親戚筋の認識あり)
とはいえ、ちょっと前までの文學界は表紙が毎号苦手すぎて買うことができずにいたのであった(こっち見んな!とおびえていた)。1度だけどうしても掲載作が気になって買ったものは表紙にファンシーペーパーを貼り付けてある。
今はそんなこともなく、買いたいと思った号は買える。
水色と茶色の組み合わせはテッパンでかわいいという認識があるため、最新号などとてもかわいい。配色がまるでデパ地下だな、と思っている。うきうき買った。本はうきうき買いたいよな。
これは20年以上前に、渋谷のパルコか池袋のリブロかで何となく心惹かれて買ったものなのだが(仏語なので文字部分はさっぱり読めず、絵を目的に)
2024年、現在、東京ステーションギャラリーでフォロン展が行われており、本を1冊買ったきりだった画家さんの作品と再会と相成ったのだった。
ベルギー生まれの画家であることも、マグリットに惹かれていたことも、何も知らないままだったので、一気に情報量が増えてしまったし、展示の内容も盛りだくさんで幅もあってとてもよかった。立体ものも好きな作品たくさんありました。
世界人権宣言にイラストを提供されていたんだな。このあたりの原画も見られます。
www.amnesty.or.jp/human-rights/passport/
そしてアーティゾン。
前情報をまったく仕入れずに見に行ったので(東京駅周辺美術館共通券を持っていたため本当にふらっと)展示タイトルを見てもどんな展示か想像がつかなかったのだが、展示室に入ればすぐにわかった。 作品を、本来鑑賞が想定される「室内」に設えたかたちで見せるという試みだ、これ!
学芸員さん、楽しかっただろうなあ。
別のフロアはまた別のテーマ、切り口で見せてくれています。※展示はすべて所蔵品。
2024年、現在、東京ステーションギャラリーでフォロン展が行われており、本を1冊買ったきりだった画家さんの作品と再会と相成ったのだった。
ベルギー生まれの画家であることも、マグリットに惹かれていたことも、何も知らないままだったので、一気に情報量が増えてしまったし、展示の内容も盛りだくさんで幅もあってとてもよかった。立体ものも好きな作品たくさんありました。
世界人権宣言にイラストを提供されていたんだな。このあたりの原画も見られます。
www.amnesty.or.jp/human-rights/passport/
そしてアーティゾン。
前情報をまったく仕入れずに見に行ったので(東京駅周辺美術館共通券を持っていたため本当にふらっと)展示タイトルを見てもどんな展示か想像がつかなかったのだが、展示室に入ればすぐにわかった。 作品を、本来鑑賞が想定される「室内」に設えたかたちで見せるという試みだ、これ!
学芸員さん、楽しかっただろうなあ。
別のフロアはまた別のテーマ、切り口で見せてくれています。※展示はすべて所蔵品。