みずのそこ
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いってき、いってき

全年10月21日185件]4ページ目)

休みをとると雨になりがちな我が家の雨人間は本日有給休暇です、少しずつ曇ってきた空をながめて「みずからのこのちからが恐ろしい!のろわしい!」とか言いながら洗濯物を干しています(平和)

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それまでかれの持たなかったものを刻みつけることがかなったのだし、それまで自分の持たなかったものを残してもらうことができたのだ

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@ceo0707 しあわせですよう。これはきっと、ほんとうに本気で、俺の負けでよかったやつなんですよ…

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@c0nanc0 わたしもこないだ知って新横まで行ったもの。郡山店ができたおかげなのかもしれない…

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(おかげさまでサークルカットの下書きの下書きができたので明日か明後日には蜜月申し込める、よ…)

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クリームボックスのローカルフードとしてすごいところは、クリームボックスの話題ではしゃいでいるだけで出身地が「市」まで特定されちゃうとこ。範囲が狭い。

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ましろなる野のすべらかさ、って下に書いてあったから短歌つくろうとしたんだな、クリームボックスと鶴丸国永をたたえる歌…

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残ってる記録とちがうじゃんって話じゃなくて、ここまではっきりしてんのにそう扱われてるなら何か理由というか設定があんのかなって話

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明暦の大火で焼けたのは三十箱中二十五箱で、たしか三日月は二番目の箱(二之箱)にしまわれていた

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徳川将軍家では何らかの理由で顔を合わせていないか(明暦の大火で焼けた/焼けてないがあるから、しまわれていた箱はたしかに別なのだろうけど…)、あるいはこの三日月は徳川に入る以前の時点から呼び出されている可能性があるか…だけど、後者であれば三日月はじじいと自称はせぬのでは…

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豊臣においては骨喰が秀吉、三日月がねねのとこだから、顔合わせてなくても不思議ではないけど、その後ふたりとも時期は前後しつつも秀忠のとこいって徳川家のものになっているようだし、骨喰はのちに紀州に出てるものの、明治初頭に徳川宗家に戻って神社入るまでは家達さん所持なんだよなあ

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三日月・骨喰の回想についてあらためて考えている。足利将軍家にいた頃には双方つくもとして交流があった。その後の骨喰の消息を三日月は知らないぽい。骨喰は焼けて記憶を失っている(焼けた以降の骨喰である)…という前提のやりとりだよな。

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これ最終的には鶴丸さんのハートを射抜いて「鶴通し」で打ち止めっていうらぶこめでいいんじゃないかと思った一瞬ののちにしもねたのような気がしてきてしまい…

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