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前回、横浜でブルジョワ展を見てからなんと27年が経っているらしい…。そして、27年前といちばん違っていることは、作家が存命中であるか、死後であるかということだったのかもしれない。死後であるということは、すべての作品が世に出たのちである、ということ。
前回の展示を見た時の自分の感想をあさってみたら、投げ出されたようだったと書き残されていたし、剥き出しの内臓みたいだったという記憶もある。今回の展示でも、前半までの作品ではそのように感じた部分があったが、展示が進むにつれて、明るさというのか、余白というのか、鑑賞者に対して開かれた部分が出てきているように思った。そういえば、作品中に「昇華」という言葉が書き込まれていたけれど、そういうことなのだろうか。
どちらが好みかといえば、どちらということもないけれど。(前半のような剥き出しのもののほうが、刺さる時は深く刺さるが受け付けられない場合もあるという両極端傾向はあるかも。たとえばわたしの場合、表現がにんげんの肉体寄りになると、ふーん…で終わる感じにはなりがち。)
前回の展示を見た時の自分の感想をあさってみたら、投げ出されたようだったと書き残されていたし、剥き出しの内臓みたいだったという記憶もある。今回の展示でも、前半までの作品ではそのように感じた部分があったが、展示が進むにつれて、明るさというのか、余白というのか、鑑賞者に対して開かれた部分が出てきているように思った。そういえば、作品中に「昇華」という言葉が書き込まれていたけれど、そういうことなのだろうか。
どちらが好みかといえば、どちらということもないけれど。(前半のような剥き出しのもののほうが、刺さる時は深く刺さるが受け付けられない場合もあるという両極端傾向はあるかも。たとえばわたしの場合、表現がにんげんの肉体寄りになると、ふーん…で終わる感じにはなりがち。)


この12月、さまざまな「作品」に接する機会があり、コンテンツのタイプと自分の向き不向きについていつも以上に思うことが多かった。
とはいえ、新しいことに気づいたというよりは、以前からぼんやりと考えていたことがよりはっきりした、という感じだった。つまり、具体的な表現というものは「他人事」 「自分から遠いこと」 「わかりにくいこと」として時には越えがたい壁を感じることもあり、抽象的な表現ほど、自分の感情との繋がりを部分的にでも見出しやすく、そこから自分の内側に広げて味わうことができる、という傾向があるなあ、と。
これは、子どもの頃にあほほど「お話」を読んだけれど、思春期に心を救われたのは「詩」だった、ということとも通じているかもしれない。
世の中の人はわたしが思うよりずっと怒っているし、わたしが思うよりずっと悲しんでいる、ということを常に意識して人と接している、ということとも通じているかもしれない。
何がきっかけだったかというと、とある演劇公演を最前どセンターで観る機会を得たのだけど、わたしは最前どセンターで演劇を見ることに向いていないなあと気づいたのだよね。ある程度の距離とか、俯瞰できる視界とかがあり、にんげんの表情をことこまかくはっきりと浴びない、ほうが、たぶん、良い。
もともと、生身の人間によるパフォーマンスを見ることへの適性がさほど高くないのだった…ということも久しぶりに思い出した。
舞台上にあるものが、食卓よりも宇宙のほうが心寄り添う。そして、食卓を観たい人なら最前という距離や視界に意味がありそうだけど、宇宙を観たいならそうではなくむしろ遠さに意味があるよなあとも思ったのだった。
1度は最前になってみないとはっきりわからないことだったと思うので、1度当ててくださって本当にありがとうございました。
あと、物語で泣くことはそんなにないが、音楽には無限に泣かされてしまうことも再確認…。音楽こわい。どこに直撃しているんだ…。
とはいえ、新しいことに気づいたというよりは、以前からぼんやりと考えていたことがよりはっきりした、という感じだった。つまり、具体的な表現というものは「他人事」 「自分から遠いこと」 「わかりにくいこと」として時には越えがたい壁を感じることもあり、抽象的な表現ほど、自分の感情との繋がりを部分的にでも見出しやすく、そこから自分の内側に広げて味わうことができる、という傾向があるなあ、と。
これは、子どもの頃にあほほど「お話」を読んだけれど、思春期に心を救われたのは「詩」だった、ということとも通じているかもしれない。
世の中の人はわたしが思うよりずっと怒っているし、わたしが思うよりずっと悲しんでいる、ということを常に意識して人と接している、ということとも通じているかもしれない。
何がきっかけだったかというと、とある演劇公演を最前どセンターで観る機会を得たのだけど、わたしは最前どセンターで演劇を見ることに向いていないなあと気づいたのだよね。ある程度の距離とか、俯瞰できる視界とかがあり、にんげんの表情をことこまかくはっきりと浴びない、ほうが、たぶん、良い。
もともと、生身の人間によるパフォーマンスを見ることへの適性がさほど高くないのだった…ということも久しぶりに思い出した。
舞台上にあるものが、食卓よりも宇宙のほうが心寄り添う。そして、食卓を観たい人なら最前という距離や視界に意味がありそうだけど、宇宙を観たいならそうではなくむしろ遠さに意味があるよなあとも思ったのだった。
1度は最前になってみないとはっきりわからないことだったと思うので、1度当ててくださって本当にありがとうございました。
あと、物語で泣くことはそんなにないが、音楽には無限に泣かされてしまうことも再確認…。音楽こわい。どこに直撃しているんだ…。
2024年の個人的なできごとを振り返ってみると、手を動かす習い事を始めたことと、今まで興味のなかった配信コンテンツ界隈に足を踏み入れたことが大きなことだったかな、と思ったので、配信コンテンツ覗くようになったルート?をメモに残しておくことにした。お名前記しているのは、ある程度興味もって切り抜き動画等見て回ったことがある方たち。
儒烏風亭らでんさんで足を踏み入れ、ピザ屋(VCRGTA)にたどり着いてから一気に広がったな、という感じ。VCRGTA2の入り口は青くん、にじGTAの入り口はメロコさん。ピザ屋からたどってVCR系あちこち覗いたけど、「画面の視点が一人称でない(俯瞰的である)」という点で、GTAがいちばん好きかもしれない。
(でも、なんだろう…RUSTには独特のうつくしさがあるな…とは思っている。)
最終的に、でび様やるんちょまのような人外2頭身Vtuberの存在を知れたことが結構大きかったし、そのでび様が先日虚無を見つめる配信をなさっていたこと、るんちょまが夢十夜の朗読配信をしていたことで、相当ぐっときている。でびるんるん恐るべし…

そういえば、ピザ屋→ネオポリス→にじGTAから、ゆぐどらしるのアーカイブあさり出したところでVCRGTA3が始まったため、ゆぐどら周りまだまだ見るものありそうだな(沼)
儒烏風亭らでんさんで足を踏み入れ、ピザ屋(VCRGTA)にたどり着いてから一気に広がったな、という感じ。VCRGTA2の入り口は青くん、にじGTAの入り口はメロコさん。ピザ屋からたどってVCR系あちこち覗いたけど、「画面の視点が一人称でない(俯瞰的である)」という点で、GTAがいちばん好きかもしれない。
(でも、なんだろう…RUSTには独特のうつくしさがあるな…とは思っている。)
最終的に、でび様やるんちょまのような人外2頭身Vtuberの存在を知れたことが結構大きかったし、そのでび様が先日虚無を見つめる配信をなさっていたこと、るんちょまが夢十夜の朗読配信をしていたことで、相当ぐっときている。でびるんるん恐るべし…

そういえば、ピザ屋→ネオポリス→にじGTAから、ゆぐどらしるのアーカイブあさり出したところでVCRGTA3が始まったため、ゆぐどら周りまだまだ見るものありそうだな(沼)
展示室内には大きく組み上げられた「装置」が立ち並んでいるけれど、主題として提示されているのはそれらの「装置」や空間を流れ、震わせてめぐるごく小さな、かすかな何か…電気、磁力、波、音、風、光など…であったと思う。ときには、その微細なちからの蓄積が「装置」を動かし、相互に作用する。装置そのものではなくて、現象が展示されていた、という言い方もできるかも。
とても静かでとてもかすかでとてもゆっくりした目に見えないピタゴラスイッチ、とも思っていた。
風にひらめきつづける「立体」の「一瞬」を、スキャナとモニタによって平面化しつづける装置。現象と記録。しばらくここに張りついていた。
アーティゾンの収蔵作品とのコラボレーション的な部分もあり、特にクレーとコーネルの馴染みがよかったように感じた。デュシャンははっきりと本歌取りした作品があったのでまあ別として。
おとなりの戸田ビルがオープンしていたので帰りに立ち寄ってロビーの彫刻作品など見学。土曜だが祝日、という日取りのため、3Fに入居のギャラリー群はお休みで残念。
ここは、前のビルの解体からをずっとアーティゾンの窓から眺めつづけていて、いつも見ているけど立ち入れない区画だったため、「完成した建物のなかに入れる」ということがすこし不思議に思えた。
とても静かでとてもかすかでとてもゆっくりした目に見えないピタゴラスイッチ、とも思っていた。


アーティゾンの収蔵作品とのコラボレーション的な部分もあり、特にクレーとコーネルの馴染みがよかったように感じた。デュシャンははっきりと本歌取りした作品があったのでまあ別として。
おとなりの戸田ビルがオープンしていたので帰りに立ち寄ってロビーの彫刻作品など見学。土曜だが祝日、という日取りのため、3Fに入居のギャラリー群はお休みで残念。
ここは、前のビルの解体からをずっとアーティゾンの窓から眺めつづけていて、いつも見ているけど立ち入れない区画だったため、「完成した建物のなかに入れる」ということがすこし不思議に思えた。
印刷会社による印刷文化アーカイブのハシゴをしてきた。
写植。
印博では夏に欧文活字の展示も見ていて、そちらだと活字→デジタルフォントの道筋が見えたんだけど、1セットの文字数が桁違いに多い和文の場合は、活字の段階では書体のバリエーションがそんなにできなくて、活字→写植→デジタルフォントになるんだなというのがよくわかった。

紙。
紙のてざわりを楽しみながら見本帳をつくってお土産にもらえて、テキン体験で栞も刷れてたのしかった。
館内のあちこちが活字デザインになっている。
こちらは写真家×紙の展示。写真家さんご本人がさまざまな試し刷りから念入りに作品と用紙の組み合わせを選んでつくられた展示品と作品集が置かれていた。写真のオリジナルプリントと出版印刷の中間くらいというコンセプトとのこと。竹尾さんのほうはもう週末公開日終わっていて行けなさそうだな。
写植。
印博では夏に欧文活字の展示も見ていて、そちらだと活字→デジタルフォントの道筋が見えたんだけど、1セットの文字数が桁違いに多い和文の場合は、活字の段階では書体のバリエーションがそんなにできなくて、活字→写植→デジタルフォントになるんだなというのがよくわかった。


紙。
紙のてざわりを楽しみながら見本帳をつくってお土産にもらえて、テキン体験で栞も刷れてたのしかった。




こちらは写真家×紙の展示。写真家さんご本人がさまざまな試し刷りから念入りに作品と用紙の組み合わせを選んでつくられた展示品と作品集が置かれていた。写真のオリジナルプリントと出版印刷の中間くらいというコンセプトとのこと。竹尾さんのほうはもう週末公開日終わっていて行けなさそうだな。


想像以上におもしろかったな。新鮮な驚きがいくつもあった。
破壊された遺跡にとって、破壊以前の詳細な調査結果がどれほどの生命線であるかということから開幕する展示。記録と写真からの書き起こしが掛け軸に軸装されているのもおもしろかったけど、大判の紙を時々眺めることを前提に保存する時、掛け軸ってかなり最適なんだよね。紙自体の重量を全面的に支えるつくりになっている。
弥勒信仰って遠い遠い未来への約束への信仰だと思っていたから、阿弥陀来迎(個人の死に際にまつわる信仰)と同様の弥勒来迎図が描かれていたことにも驚きがあった。極楽ではなく、兜率天へのお迎え。これは、56億7千万年後のことを描いているということなんだろうか…

破壊された遺跡にとって、破壊以前の詳細な調査結果がどれほどの生命線であるかということから開幕する展示。記録と写真からの書き起こしが掛け軸に軸装されているのもおもしろかったけど、大判の紙を時々眺めることを前提に保存する時、掛け軸ってかなり最適なんだよね。紙自体の重量を全面的に支えるつくりになっている。
弥勒信仰って遠い遠い未来への約束への信仰だと思っていたから、阿弥陀来迎(個人の死に際にまつわる信仰)と同様の弥勒来迎図が描かれていたことにも驚きがあった。極楽ではなく、兜率天へのお迎え。これは、56億7千万年後のことを描いているということなんだろうか…
出光美術館の休館前シリーズ4/4期。看板は若冲と伴大納言絵詞だけれど、個人的によかったのは抱一。十二ヶ月花鳥図が描いた時期違いで2セット、向かい合わせに展示されていて、モチーフや描写の違いも楽しめる。あと、種子曼荼羅で、「この種子は○○仏」を表していますではなく、「この種子で○○仏を描いています」という雰囲気のものがあってとても良かった…好きだった。文字だけど文字だけで雲中していた…。
休館前展示だから惜しみなく看板作品が並べられていて満足度高い展示でした。
展示室の入り口に過去のリーフレットの一部をずらりとあしらった看板が置かれていたけど、やはり出光で印象に残っているのは宗像大社展。出光さんがお近くのご出身で、再興に力を尽くされたご縁があっての展示だったようなので、同じ規模のものはもうなかなかないのではないか…。
帝劇ビルのリニューアル何年後かわかってませんが、無料給茶機と眺めのいい休憩スペースも継がれるといいな。

休館前展示だから惜しみなく看板作品が並べられていて満足度高い展示でした。
展示室の入り口に過去のリーフレットの一部をずらりとあしらった看板が置かれていたけど、やはり出光で印象に残っているのは宗像大社展。出光さんがお近くのご出身で、再興に力を尽くされたご縁があっての展示だったようなので、同じ規模のものはもうなかなかないのではないか…。
帝劇ビルのリニューアル何年後かわかってませんが、無料給茶機と眺めのいい休憩スペースも継がれるといいな。
マリオネットホテルの感想メモと次の配信で確認したいところ。順次追記。9/21夜公演。
最後の画像は全景配信の初見メモ。
全体的な話。
セットがクラシックかつかわいくて、ほんのりホラーみもあってとてもよかった! わたしは場の動かない話(密室劇? 室内劇?)が好きなので、そういう意味でも好きな話だったし、その「場」が素敵なお部屋ならなおうれしい。
お衣装もみんなよかったな。フリーダのスカートのひるがえり最高! フランチェスカのスカートはふくらみとたわみが最高! あと、どうもケープが好きだなと最近自覚していたところにダリちゃんのコートも最高だった!
ダリとフリーダが中心の話な時点でそれはそうなのだけど、隙あらば曲でグランギニョルとの繋がりを嗅がせてくるのなかなかだったな…音楽は感覚にうったえかけてくるので…防御貫通で効果が入る。
とはいえ、例のシーンのアレは、わたしは言われているほど動揺なくて。
(なべて結婚とは取り返しのつかない過ちである、という線でもまあ…というのは置いておくとしても)
今まで作中でどういう意味を持たされてきたとしても、「音楽」なので、祝福の音色としてアレンジされているならそういうことなんじゃないか?という気持ちもあり。だって感覚としては気持ちよく聴けてしまうから。(追記:お膳立てがどうあれ、本人たちの感情とのせめぎ合いでああなっているのであれば、あのシーンってもしかして運命と個人の意思のバトルシーンなのかもしれないな…ムンク氏のセリフで運命があるならみんな人形だよっていうのあったし…フリーダ様は意思のちからを信じて生きようという覚悟しているタイプだし…)
あと…なんていうのか…生きていくうえでのどんな選択だって、取り返しがつかないという点においてはどれも等しく、それが過ちであったかどうかというラベル付けは、過去として振り返ったときにはじめて成立するじゃん…命のやりとりとかは別として…。1秒後かもしれないし10年後かもしれない、1000年後に振り返るのかもしれないが、とにかく、選択したその瞬間にはまだ答え合わせは成立しない。フリーダの言う予知夢が本当に予知夢だったとして、「途切れて」いるからには彼女にとっても、あの瞬間には過ちでもなんでもなく。
ひとりだけ、エゴだけは、あの瞬間にも絶望と対峙していたのかもしれず、あの場面で「ライネス」がいわゆる「ライネス」の効果を持つのであれば、エゴにとってはそうだろうよ、とは思っている。
個人的には、(グランギニョルでは愛加さんが兼役のほうで歌った)「黒き夜」をフリーダが歌ったことのほうが衝撃でかかったな。グランギニョルの中で本格的にグランギニョルが開始したのはあのシーンからだと思っているため…。
それとラストの梅津瑞樹劇場でトラジェディが回旋し出したところは、このエンディングからグランギニョルのオープニング直結なんだと思考でなく感覚に叩き込まれた感があった。
そう、梅津さん。全景配信を見た時は、梅津さん普通にありとあらゆる梅津さんをやっていらしてすごいなあ(すえみっさん楽しかっただろうなあ)くらいの感想だったのだが、現地でしかも前方センター付近という位置で見た梅津さんのTRUMP降臨シーンあまりにものすごくて「これは見たことのない梅津瑞樹だ…」と目が釘付けでしたね。見られてよかったし、こういうの見たかったとも思った。
これがやりたかったから梅津さんだったのか、梅津さんだったからこれをやったのかは知りようもないが、陳内さんとの無二の相方役をつとめたことがあり、山浦さんとばちばちの舌戦を演じたことのある(しかもすえみっさんの脚演で)梅津さんが、TRUMP…というのは後からやっぱり思ってしまったしちょっと呻いた。中の人がいるお話って…こういうところもちょっとおもしろいな。
とうとう梅津さんがTRUMP出るぞ!となったとき、こんなこと言ってたけど、ここまでとは思っていなかったよ…。
エゴとシャルロッテ、次の配信でちゃんと確認したい。エゴ/エマの綱引き具合・共存具合をシャルロッテから測れないかなとちょっと思っており…
・エゴが、他者とのあいだにシャルロッテ挟んでいるように見えていたけどいつもそうなのか。相手によるのか。
・シャルロッテおねんね中に直接会話した相手は誰だったか。
・シャルロッテを携えたエゴと、単独のエゴで、違いが見えるか。
エゴの名前ってもう「エゴ」である時点でインパクト特大だけど、他の人たちのように画家の名前に元ネタあるんだろうか。フリーダがフリーダなのだから、エゴもあってもいいんだよなあ。…で、しばらく考えてみてエゴン・シーレが近似値かなと思ったり。(幼少期は自分の姉妹に挟まれていて、結婚後は妻の姉とも繋がりあったというあたりとか)
そういえば、上司部下で同じ画家の名前(元ネタ)分けて使うんだ?と思ってたら舞台上で一体存在になっていてびっくりしましたね…そんなことある?(あった)
イニシアチブによる人格コピーのわりと詳細な説明が今回出てきたけど、思ってたより面倒だったし、完コピではなくどちらかというと「継承」に近いものだったのは意外だったかもしれない。コピーというよりむしろ洗脳に近いと思ったんだけど、人格ごと入り込むんだよね…むずかしい。
クロードの場合は1世代きりだからいいとして(コピー先にコピー元へ対する濃いめの感情があるけどそのぶんのブレが出たりはしないのかな、とは思っている)、ダミアンストーンの場合脈々と継がれているからちょっとずつズレてオリジナルから離れていってるでしょ…。
あと、トランプ降ろしたら依り代(便宜上、依り代と表現)の肉体まで不老不死になるのどういうしくみなんだ…
あ、あと、イニシアチブ実験を断固拒んだエゴはエゴなのか。フリーダのリクエストに従って「歌って欲しい」と命じたのはエゴなのか。エゴの中にイニシアチブリング通ってる回路(人格)と通ってない回路があるわけじゃん…拒んだときは「通らないから」だったとしたら…? あと、フランチェスカのイニシアチブとエマ・ダミアンのイニシアチブは同時に存在していると思うんだけど、同じ回路通ってる?
ええと、シルベチカとリコリスって普通の(?)多重人格だったと思うんだけど、あれでファルスのイニシアチブが通ったり通らなかったりするのなら、エゴの内部にも、エマ・ダミアンだけじゃなく、エゴ自身の分裂人格があって、イニシアチブが通ったり通らなかったりする、のか? あー、お姉様の幸せを願うエゴと、「美しい死」に魅入られたエゴはもはや分裂している、とか? シャルロッテもたぶん何らかの分裂エゴに近いものなんだと思うんだよな…
追記:イニシアチブリング通っててトランプを降臨させたのがエマさん人格で、お姉様にイニシアチブ通せないのがエゴくん人格と最初考えたんだよね、そうするとフリーダに「黒き夜」歌わせた選曲までエマさんかもしれなくてぞくぞくするな、と。ただ、フランチェスカにこき使われてるのもエマさんになっちゃうのでちょっと面白くなってしまって…もうちょっと別の分裂人格も考えに入れたくなったのだった。
追記:
フリーダとエゴが姉弟でどちらも繭期時代に予知夢のイレギュラー持ちだったけど、血縁で同じ症状(能力)が出やすいみたいなことあるんだろうかと思ってぽちぽちぐぐっていたら、オズとサトクリフの兄弟設定に言及しているすえみっさんのツイートに行き当たってしまった…あそこもまあ、どちらも未来視の一種だよね…
そして、シルベチカも自分の死という予知夢は見ているんだよなあ…
フリーダ:予知夢(自分の未来)、アレン症候群
エゴ:予知夢(フリーダの未来?)、アレン症候群、(多重人格を疑っている)(わたしが)
オズ:未来視(キキの向こうに遠い未来のガーベラを見る)
サトクリフ:未来の死を見る(触れた相手のだっけ?)
シルベチカ:予知夢(自らの死)、二重人格(リコリス)
追記:モネ卿が条件満たした人数揃えるのに15年もかかってしまったみたいなこと言ってたけど、アレン症候群かつダリちゃんの縁者、という部分で、元デリコ家使用人だったホテリエのみなさんは、ダリちゃんとの縁を結ぶためにモネ卿がデリコ家に斡旋してたとかもありそうね。
最後の画像は全景配信の初見メモ。
全体的な話。
セットがクラシックかつかわいくて、ほんのりホラーみもあってとてもよかった! わたしは場の動かない話(密室劇? 室内劇?)が好きなので、そういう意味でも好きな話だったし、その「場」が素敵なお部屋ならなおうれしい。
お衣装もみんなよかったな。フリーダのスカートのひるがえり最高! フランチェスカのスカートはふくらみとたわみが最高! あと、どうもケープが好きだなと最近自覚していたところにダリちゃんのコートも最高だった!
ダリとフリーダが中心の話な時点でそれはそうなのだけど、隙あらば曲でグランギニョルとの繋がりを嗅がせてくるのなかなかだったな…音楽は感覚にうったえかけてくるので…防御貫通で効果が入る。
とはいえ、例のシーンのアレは、わたしは言われているほど動揺なくて。
(なべて結婚とは取り返しのつかない過ちである、という線でもまあ…というのは置いておくとしても)
今まで作中でどういう意味を持たされてきたとしても、「音楽」なので、祝福の音色としてアレンジされているならそういうことなんじゃないか?という気持ちもあり。だって感覚としては気持ちよく聴けてしまうから。(追記:お膳立てがどうあれ、本人たちの感情とのせめぎ合いでああなっているのであれば、あのシーンってもしかして運命と個人の意思のバトルシーンなのかもしれないな…ムンク氏のセリフで運命があるならみんな人形だよっていうのあったし…フリーダ様は意思のちからを信じて生きようという覚悟しているタイプだし…)
あと…なんていうのか…生きていくうえでのどんな選択だって、取り返しがつかないという点においてはどれも等しく、それが過ちであったかどうかというラベル付けは、過去として振り返ったときにはじめて成立するじゃん…命のやりとりとかは別として…。1秒後かもしれないし10年後かもしれない、1000年後に振り返るのかもしれないが、とにかく、選択したその瞬間にはまだ答え合わせは成立しない。フリーダの言う予知夢が本当に予知夢だったとして、「途切れて」いるからには彼女にとっても、あの瞬間には過ちでもなんでもなく。
ひとりだけ、エゴだけは、あの瞬間にも絶望と対峙していたのかもしれず、あの場面で「ライネス」がいわゆる「ライネス」の効果を持つのであれば、エゴにとってはそうだろうよ、とは思っている。
個人的には、(グランギニョルでは愛加さんが兼役のほうで歌った)「黒き夜」をフリーダが歌ったことのほうが衝撃でかかったな。グランギニョルの中で本格的にグランギニョルが開始したのはあのシーンからだと思っているため…。
それとラストの梅津瑞樹劇場でトラジェディが回旋し出したところは、このエンディングからグランギニョルのオープニング直結なんだと思考でなく感覚に叩き込まれた感があった。
そう、梅津さん。全景配信を見た時は、梅津さん普通にありとあらゆる梅津さんをやっていらしてすごいなあ(すえみっさん楽しかっただろうなあ)くらいの感想だったのだが、現地でしかも前方センター付近という位置で見た梅津さんのTRUMP降臨シーンあまりにものすごくて「これは見たことのない梅津瑞樹だ…」と目が釘付けでしたね。見られてよかったし、こういうの見たかったとも思った。
これがやりたかったから梅津さんだったのか、梅津さんだったからこれをやったのかは知りようもないが、陳内さんとの無二の相方役をつとめたことがあり、山浦さんとばちばちの舌戦を演じたことのある(しかもすえみっさんの脚演で)梅津さんが、TRUMP…というのは後からやっぱり思ってしまったしちょっと呻いた。中の人がいるお話って…こういうところもちょっとおもしろいな。
とうとう梅津さんがTRUMP出るぞ!となったとき、こんなこと言ってたけど、ここまでとは思っていなかったよ…。
(あの日はじ繭でグランギニョル見る前にヴァニタスなんて名前のひとが端役なわけなくない?って思ったものだけども、いま、エゴなんて名前のひとがキーマンじゃないわけなくない?という気持ち)
午後7:31 · 2024年6月7日
x.com/3000_meters/status/179902645545803...
エゴとシャルロッテ、次の配信でちゃんと確認したい。エゴ/エマの綱引き具合・共存具合をシャルロッテから測れないかなとちょっと思っており…
・エゴが、他者とのあいだにシャルロッテ挟んでいるように見えていたけどいつもそうなのか。相手によるのか。
・シャルロッテおねんね中に直接会話した相手は誰だったか。
・シャルロッテを携えたエゴと、単独のエゴで、違いが見えるか。
エゴの名前ってもう「エゴ」である時点でインパクト特大だけど、他の人たちのように画家の名前に元ネタあるんだろうか。フリーダがフリーダなのだから、エゴもあってもいいんだよなあ。…で、しばらく考えてみてエゴン・シーレが近似値かなと思ったり。(幼少期は自分の姉妹に挟まれていて、結婚後は妻の姉とも繋がりあったというあたりとか)
そういえば、上司部下で同じ画家の名前(元ネタ)分けて使うんだ?と思ってたら舞台上で一体存在になっていてびっくりしましたね…そんなことある?(あった)
イニシアチブによる人格コピーのわりと詳細な説明が今回出てきたけど、思ってたより面倒だったし、完コピではなくどちらかというと「継承」に近いものだったのは意外だったかもしれない。コピーというよりむしろ洗脳に近いと思ったんだけど、人格ごと入り込むんだよね…むずかしい。
クロードの場合は1世代きりだからいいとして(コピー先にコピー元へ対する濃いめの感情があるけどそのぶんのブレが出たりはしないのかな、とは思っている)、ダミアンストーンの場合脈々と継がれているからちょっとずつズレてオリジナルから離れていってるでしょ…。
あと、トランプ降ろしたら依り代(便宜上、依り代と表現)の肉体まで不老不死になるのどういうしくみなんだ…
あ、あと、イニシアチブ実験を断固拒んだエゴはエゴなのか。フリーダのリクエストに従って「歌って欲しい」と命じたのはエゴなのか。エゴの中にイニシアチブリング通ってる回路(人格)と通ってない回路があるわけじゃん…拒んだときは「通らないから」だったとしたら…? あと、フランチェスカのイニシアチブとエマ・ダミアンのイニシアチブは同時に存在していると思うんだけど、同じ回路通ってる?
ええと、シルベチカとリコリスって普通の(?)多重人格だったと思うんだけど、あれでファルスのイニシアチブが通ったり通らなかったりするのなら、エゴの内部にも、エマ・ダミアンだけじゃなく、エゴ自身の分裂人格があって、イニシアチブが通ったり通らなかったりする、のか? あー、お姉様の幸せを願うエゴと、「美しい死」に魅入られたエゴはもはや分裂している、とか? シャルロッテもたぶん何らかの分裂エゴに近いものなんだと思うんだよな…
追記:イニシアチブリング通っててトランプを降臨させたのがエマさん人格で、お姉様にイニシアチブ通せないのがエゴくん人格と最初考えたんだよね、そうするとフリーダに「黒き夜」歌わせた選曲までエマさんかもしれなくてぞくぞくするな、と。ただ、フランチェスカにこき使われてるのもエマさんになっちゃうのでちょっと面白くなってしまって…もうちょっと別の分裂人格も考えに入れたくなったのだった。
追記:
フリーダとエゴが姉弟でどちらも繭期時代に予知夢のイレギュラー持ちだったけど、血縁で同じ症状(能力)が出やすいみたいなことあるんだろうかと思ってぽちぽちぐぐっていたら、オズとサトクリフの兄弟設定に言及しているすえみっさんのツイートに行き当たってしまった…あそこもまあ、どちらも未来視の一種だよね…
そして、シルベチカも自分の死という予知夢は見ているんだよなあ…
フリーダ:予知夢(自分の未来)、アレン症候群
エゴ:予知夢(フリーダの未来?)、アレン症候群、(多重人格を疑っている)(わたしが)
オズ:未来視(キキの向こうに遠い未来のガーベラを見る)
サトクリフ:未来の死を見る(触れた相手のだっけ?)
シルベチカ:予知夢(自らの死)、二重人格(リコリス)
追記:モネ卿が条件満たした人数揃えるのに15年もかかってしまったみたいなこと言ってたけど、アレン症候群かつダリちゃんの縁者、という部分で、元デリコ家使用人だったホテリエのみなさんは、ダリちゃんとの縁を結ぶためにモネ卿がデリコ家に斡旋してたとかもありそうね。

そしてマリオネットホテルにチェックイン。おもしろかった~!
TRUMPシリーズはじめての友人と一緒だったのだけど、とっても楽しめたようでよかったよかった。基本設定のレクチャーもあったし、今までふわっとしてた設定が細かく明かされた部分もあったから、ここから入るのもわかりやすくてよいかもしれないな。(ラスト付近のあれこれから何かを察して「この後のお話見たくないよ~!」」と言われるおそれはあるけれども)(言われた)
帰り、電車に乗る前に塩分とアルコールが欲しくて飲食店あるほうにふらっと歩いて行ったら、えっ、デリコ?? となって入ったバル。ふらっと入ったけどいいお店だったのでまた行きたい。どうも、一部の繭期の方には知られたお店みたいだったな。

これは観劇前の糖分補給。期間限定出店のカフェだったけど、ケーキとソースとトッピングを選んでオーダーシートを作り、味変しながら食べるというコンセプトのお店でおもしろかった。ケーキもおいしかった。
TRUMPシリーズはじめての友人と一緒だったのだけど、とっても楽しめたようでよかったよかった。基本設定のレクチャーもあったし、今までふわっとしてた設定が細かく明かされた部分もあったから、ここから入るのもわかりやすくてよいかもしれないな。(ラスト付近のあれこれから何かを察して「この後のお話見たくないよ~!」」と言われるおそれはあるけれども)(言われた)

帰り、電車に乗る前に塩分とアルコールが欲しくて飲食店あるほうにふらっと歩いて行ったら、えっ、デリコ?? となって入ったバル。ふらっと入ったけどいいお店だったのでまた行きたい。どうも、一部の繭期の方には知られたお店みたいだったな。



これは観劇前の糖分補給。期間限定出店のカフェだったけど、ケーキとソースとトッピングを選んでオーダーシートを作り、味変しながら食べるというコンセプトのお店でおもしろかった。ケーキもおいしかった。

お久しぶりの未来科学館。
リニューアル後初めてだったけど、時間の関係で常設はまた今度に。
展示の最後にオリジナル刀剣男士を出力させるコーナーがあり。大福切丸々、みたいな名前にしたいなあと言っていたけど、あまり大福っぽくない子が顕現した。涼味があるし、どちらかというと葛切丸という感じか。
月と地球のツーショット
展示内容は充実していて面白かったんだけど、子ども向けのひらがなパネルから何の前置きもなく分子の結晶構造の話(たぶん)まで、レベル感がゾーンによってがたがただったの逆に面白くなってしまったな。
最後のお部屋の今剣先生のナレーションでちょっと泣きました。
移動して心伝コラボカフェ。
シブツタでやるようになってから、普通にごはんが美味しくて助かりますね、もちちかさん
友達が頼んだ孫さんのドリンク、小枝(菓子)とミントがあしらわれており、「枝葉じゃん」「飲んでいいものなの?」という会話が発生した。
セットの模型に舞台幕のたぶん時系列の設定が記載されていた。幕と映像でめまぐるしい転換のある作品だったからな。こういうものが見られるの大変うれしい。
リニューアル後初めてだったけど、時間の関係で常設はまた今度に。
展示の最後にオリジナル刀剣男士を出力させるコーナーがあり。大福切丸々、みたいな名前にしたいなあと言っていたけど、あまり大福っぽくない子が顕現した。涼味があるし、どちらかというと葛切丸という感じか。



最後のお部屋の今剣先生のナレーションでちょっと泣きました。
移動して心伝コラボカフェ。
シブツタでやるようになってから、普通にごはんが美味しくて助かりますね、もちちかさん


いっこまえの記事に一緒に書くのちょっと(画像に対して)ひどいような気がしたので分ける。
そういえばわたし、カップリング萌えというものへの本格的な目覚め、見立ての文脈からだったと思うんだよな…。
感情のことを言われてもよく分からないけれど、見立ての文脈でAとBの関係性を読み替えることはとてもよくわかる、と、今でもときどき思う。任意のふたりをいったん概念に昇華した方が腑に落ちるみたいなことを昔はよく言っていたな…
そういえばわたし、カップリング萌えというものへの本格的な目覚め、見立ての文脈からだったと思うんだよな…。
感情のことを言われてもよく分からないけれど、見立ての文脈でAとBの関係性を読み替えることはとてもよくわかる、と、今でもときどき思う。任意のふたりをいったん概念に昇華した方が腑に落ちるみたいなことを昔はよく言っていたな…
ガラスになった! ここから地道に磨く作業。
石膏型の写真をひとつも撮っていなかったな…