みずのそこ
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いってき、いってき

2015年4月13日18件]

@golden_wheat 今…今とは違うかもしれないし、わたしの理解ですが、本来武術では相手の攻撃に応じてもっとも有効な手を選択することが求められたが、最適化が進んだそれを「型」として修練したのがのちの武道である…みたいな?

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@umiao_soraawo 見てきました!すてき!でしたけど、これ全部つくったら床面積すごいですねきっと?

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@umiao_soraawo 前にゆうきさんが本丸に寝殿造のイメージあって困るっておっしゃってたと思うんですが、実はわたしもそうでした…なんかこう、個人部屋がつぼね的な…

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今日は一日中、もう帰りたい協会が猛威をふるっているなあ。勤勉な活動ぶり。

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@golden_wheat 場に合わせた機転で演出するのが平安の雅のキモだったんだけど、その演出行為そのものが鑑賞の対象になってしまったのがのちの雅、ということをおっしゃってるのかな?と思いました

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国語の時間は国語便覧で平安文化の項目読んでて、古文の時間は古語辞典読んでて、日本史の時間は参考資料集の平安時代のページ読んでたから…こういうのうれしい

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@golden_wheat ご専門かよほどお好きなのか…調べて書いているのでなく、一貫した知識をお持ちのように感じます。

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RT @mikazuki_koten: 鶴丸国永の装束は真白で美しいなあ。鶴のことを「鶴の毛衣」ともいい、無論その羽毛から名付けられた異名なのだが、赤子に着せる産着のことも同じく言うことがある。これは鶴が子を思う情の深いことからきた名だ。つまりあやつの服はな……どうだ驚いたか?

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本来みずからの意思で刃を振るう刀は妖刀っていうんだよってことを考えたら、それを強いているってだけでもさにわ(とその上層部)にいい気持ちしない子も結構いるんじゃないかと一瞬思ったけど、そもそも妖刀的ないわくもちのほうが多そうだった。

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道具は使われてはじめて道具になる。かたなは振るわれてこそかたな、振るわれてはじめてかたなとして生まれるのだ。つまり俺は生まれたばかりの赤子も同然だな。千年を生まれぬままに過ごしてきた。生まれたてのじじいさ。

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