みずのそこ
aquascape

いってき、いってき

2021年10月16日17件]

生々しさ(と言い表されるようなある種の感覚をあたえうること)と、写実的であることはぜんぜんイコールではない

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その、渦中にあった画家も、過去の記憶だから夢を見ているようなもので色なんかない、とモノクロームに近い画面を構築している(ただし絵肌の作り込みとか筆致とかで情報量は多い…絵画のもつ「情報」は色だけには拠らない…)

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平川さんの作品を見て、「今ここ」から見つめる戦争の記憶の「見えなさ具合」も込みで作品にされているのだな、というようなことを考えたのちに、渦中にあった画家の作品を見る、という体験

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(ただ、たぶんわたしはもう一生、広島も長崎も、福島も、特に意味のありそうな顔つきをしたカタカナ表記はしないな、とは思う。ただそう思う)

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出身地ならではの見なれた石というか、これはあのへんにありそう、みたいなのあるんだわ、やっぱり

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広島と長崎に福島を並べて語られることについては、それはどうなん?と思う自分の意識について考えることも込みでどうなん?と思うところはあるのだが、3つの地域それぞれで産出する石を使った作品見て、福島はこれだな?がわかるもんだなあ!というのは発見だった

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たまに、はしごして見た展示と展示が意図せず響き合ったみたいなことがあるのだが、今日、それだったな。カスヤの森で現代作家さんの視点での戦争の記憶との向き合いに触れたのち、県立近代で実体験としてのシベリア抑留の記憶を描き出された作品群を見た

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