地震後すぐの時期の地元の状況のシリアスさが身に迫ったのは、父親が、原町の知り合いをいつでも助けに行けるようにガソリンを取っておいていたという話を聞いたときだった。うちの父は就職したての頃、相馬の辺りに配属されてた縁で、下宿先やら何やら、知り合いが多いんだよね。原発何キロ圏とかに。 2011.9.11(Sun) 08:23 twlog_3k