その頃の彼らはまだ三日月という名も鶴丸という名も持たなかった。必要もなかった。三条へゆけば会うことができたし、会ってしまえば名などなくてもこと足りる。名があれば、と初めて思ったのはまみえることがなくなって百年も経ったある夜だった。姿も声も薄れてゆく、せめてのよすがが欲しかった。 2016.5.27(Fri) 08:51 twlog_3k