長谷部の言うようにかたなに人と同じ「あの世」が望めないのであれば、極めて帰った平野くんのあの言葉は「それでも」という覚悟ということになるし、結局一緒にはゆけず、入口あるいは釜の蓋の上で正座しつづける姿が見えてしまう…(あるいは今の彼のあるじが人ではない可能性) 2016.6.14(Tue) 08:40 twlog_3k