心伝の感想として、わりと変なところをうろうろしている自覚はあるんだけども、初見時(6/15夜)、もしかしたらいちばん衝撃を受けたのは、「下っ端ソコーグンちゃんたちが、一般の人間に擬態していた」ことだったかもしれなかった。特命調査においては、これまでも、刀ステで言う「朧」の存在があったけど、それって、歴史の名の残る存在の専売特許みたいなところがあり、下っ端はみんな普通に(?)異形の者としてそこにいたんですよ。何なら、ジョ伝の官兵衛なんか、異形たちと主従関係ですらあった(官兵衛の前に静かにひれ伏すソコーグンちゃんたちを観た時の感情が忘れられない…彼らだって自分たちを使ってくれるあるじが欲しいんだなという)なんかね、「近代」なんだなって思ったんですよね。文久から慶応って1、2年しか離れていないのに、もう近代。もはや怪異が怪異のままで存在しにくい世界なんだなと思ってしまった。これほんと唸り声出るかと思うほどぐっさりきたところです、個人的に。(維伝…文久土佐では龍馬の拳銃が「先進」だったけれども、心伝…慶応甲府では四斤山砲が普及品だったことを思う…)この「近代」感、心伝の慶応甲府特命調査における「改変の小ささ」「目的のささやかさ」(そして、ささやかゆえに切実であることも含め)にも効いているなあと思っていて。これは維伝もそうなんだけど、「もはや天下はそこにはない」んですよね…。虚~悲+天无に存在するのは、世の頂点に立てば世を変えていくことができる、という天下取り思考であり、政宗様が「見果てぬ夢」と呼んだものも義輝様が奪われたものも、ねね様と秀頼様が燃える様を見つめていたものも、天下だった。(で、たぶんこのとーすて天下シリーズの根底に信長の存在があって、裏メロとして如水の存在があると思うけどそれはまた別の話)だが、武将とか将軍とか、そういう圧倒的な「個」が手にし、統べ、左右できるような世の中は、もう存在していない。慶応4年は明治元年です。近代なんだ。維、綺、心は特命調査シリーズなので、いずれ放棄される分岐世界が舞台であり、そもそもそこに「天下が存在していない」みたいな部分はあるんだけども。心伝、とりわけささやかだった。言ってみれば、新撰組というサークルのアイデンティティの話だった気がするし。(そして、だからこそ、われわれ後世の人間たちが新撰組というものに対して見た夢…愛…鎖…の話でもあったのだと思う…)このあたりのことをずっとぐるぐるしていた。新撰組にも役者陣にも思い入れを持たない者でも、心伝を見ているあいだ廻りつづける走馬灯がたしかにあって、それは同じ刀ステシリーズの過去作たちなんですよ! という話ともうっすら繋がっている感想なのかもしれないな。だって、ここまでとーすてで描かれてきたものの話はしているけど、歴史の話はぜんぜんしていないものな。井の中の蛙も青い空の高さだけは知っていると近藤さんが語れば青空のつはものを思い、斉藤さんや沖田くんが人斬りの心を語れば以蔵さんと肥前くんを思い、清光が沖田くんに狸親父の話を聞かせていればそうかこの清光はこの250年の始まりと終わりに立ち会ったんだなと思う…(あと、たまに三日月宗近のことも思ったけども、そのへんは自分のチューニングが狂いがちな自覚があるので、何とも)つまり天伝と維伝の走馬灯が多かったかな。それはそう。試衛館走馬灯の背景がきれいな青空だったことも意図的だと思うんだよなあ…青空のつはものってことでしょう? あの慶応甲府では、みんなつはものでしたねということだよね?以下、思いつきメモ。前にこういうことを書いていたんだけども、とーすてくんの特命調査の話は、ゲームの通常面とはちがうマップ攻略法をどう再現してくれるかも楽しみなんだよね。維伝で感動しすぎた部分。たしかにそのマップ回ってる時そういう感覚だった!という。甲府城攻略マップ、こんな突破の仕方してくると思わなかった。「当たってはならない存在に当たらないように工夫する」のではなく、「真正面からたのもーうして、話をして押し通る」……。今まで、原作ゲームに忠実にやってきたぶん、この「別ルート」際立ったなあと思うし、劇中で監査官さんがおっしゃっていたようにこんな特命調査慶応甲府、本当に他にはないんだろうな…。まあ、とーすてにおける「対話」は第一に「刃持て語らおう」であるので、そして今回、新撰組のみなさん、みんなもう存在がかたなであるため(永倉さんが「俺たちは使われてきた」と語ったことも、近藤さんのためなら斬りますと言い切った沖田くんも、みんな自分を誰かのかたなとしているあらわれだったと思う)(ここで廻り出す義伝の走馬灯…大倶利伽羅…)あるじvs愛したかたなという対話カードが連続多発することになり、見ている方の感情もかき乱される、という…。そうそう、沖田組会話の「向き合え、ってことだよね」でハッとしたんだけど、刃持て語らうときって、物理的に向き合うことになるんだよね、どうしたって。横並びや、背を向けたままではできない語らい。そういう、ことか…と、はじめて気づいた…。それで、あの、とーすてって原作内のセリフを様々な場面にバシイッと効果的にはめてきて、うわああああってさせることが多いんですけど、今回、あの、土方さんが兼さんのセリフそのまま言い放ったの、新しかったし、めちゃくちゃぐっときた。一瞬、兼さん? えっ、土方さん?ってなるくらい、言い回しも似ていて、つまり、兼さんは…ということじゃん。あと、監査官さんの「少し泣く」と、やっさだの「僕を愛してくれる人は~」、今までずっと、ようわからんセリフだなって思ってたんだけど、心伝のなかでめちゃくちゃ理解できる文脈で発せられていて、刺さりました。ありがとうございました。あとは今回、舞台上にいる人たちがみんなやたらめったらでッかくて深くていい声の人が多くて、開演からしばらく???となっていたんだけども、その中でひとり突出して末っ子みたいな声で喋る沖田くんが、めちゃくちゃくっきりしていてよかった。さらにこの沖田くん、おおむね4形態?あるんだけども、ぜんぶ声がちょっとずつ違う…気がした…。これ、通じる友人には初見の感想として言ったんだけども、新撰組の末の総領娘みたいな沖田くんでした…。※剣劇三国志の配信見ててよかったなとうっすら思った。(たいしじさんが無口親戚お兄っぽいキャラで、今回のおきたくんがみんなの弟っぽさに満ちていたため)(同じ人が演じていても振り幅があっての「今回はこれ」なんだなとわかって見ることができたというか)そうそう、声で言うと、そねさん役の方、今回はじめて見たんですけど、たぐいまれなる和声声ですね…。普通にしゃべっているだけで多重録音みたいな響きがあるやつ。ピアノではなくハープシコード。クラリネットでなくオーボエ。いい声だな…と聞き入ってしまった。以下、前提情報ですけど、幕末/維新エンタメを回避しがちのわりにはまあまあ知ってる人類、で要約される。 2024.6.30(Sun) 17:15 drop
特命調査においては、これまでも、刀ステで言う「朧」の存在があったけど、それって、歴史の名の残る存在の専売特許みたいなところがあり、下っ端はみんな普通に(?)異形の者としてそこにいたんですよ。何なら、ジョ伝の官兵衛なんか、異形たちと主従関係ですらあった(官兵衛の前に静かにひれ伏すソコーグンちゃんたちを観た時の感情が忘れられない…彼らだって自分たちを使ってくれるあるじが欲しいんだなという)
なんかね、「近代」なんだなって思ったんですよね。文久から慶応って1、2年しか離れていないのに、もう近代。
もはや怪異が怪異のままで存在しにくい世界なんだなと思ってしまった。
これほんと唸り声出るかと思うほどぐっさりきたところです、個人的に。
(維伝…文久土佐では龍馬の拳銃が「先進」だったけれども、心伝…慶応甲府では四斤山砲が普及品だったことを思う…)
この「近代」感、心伝の慶応甲府特命調査における「改変の小ささ」「目的のささやかさ」(そして、ささやかゆえに切実であることも含め)にも効いているなあと思っていて。
これは維伝もそうなんだけど、「もはや天下はそこにはない」んですよね…。
虚~悲+天无に存在するのは、世の頂点に立てば世を変えていくことができる、という天下取り思考であり、政宗様が「見果てぬ夢」と呼んだものも義輝様が奪われたものも、ねね様と秀頼様が燃える様を見つめていたものも、天下だった。(で、たぶんこのとーすて天下シリーズの根底に信長の存在があって、裏メロとして如水の存在があると思うけどそれはまた別の話)
だが、武将とか将軍とか、そういう圧倒的な「個」が手にし、統べ、左右できるような世の中は、もう存在していない。慶応4年は明治元年です。近代なんだ。
維、綺、心は特命調査シリーズなので、いずれ放棄される分岐世界が舞台であり、そもそもそこに「天下が存在していない」みたいな部分はあるんだけども。心伝、とりわけささやかだった。言ってみれば、新撰組というサークルのアイデンティティの話だった気がするし。(そして、だからこそ、われわれ後世の人間たちが新撰組というものに対して見た夢…愛…鎖…の話でもあったのだと思う…)
このあたりのことをずっとぐるぐるしていた。
新撰組にも役者陣にも思い入れを持たない者でも、心伝を見ているあいだ廻りつづける走馬灯がたしかにあって、それは同じ刀ステシリーズの過去作たちなんですよ! という話ともうっすら繋がっている感想なのかもしれないな。
だって、ここまでとーすてで描かれてきたものの話はしているけど、歴史の話はぜんぜんしていないものな。
井の中の蛙も青い空の高さだけは知っていると近藤さんが語れば青空のつはものを思い、斉藤さんや沖田くんが人斬りの心を語れば以蔵さんと肥前くんを思い、清光が沖田くんに狸親父の話を聞かせていればそうかこの清光はこの250年の始まりと終わりに立ち会ったんだなと思う…(あと、たまに三日月宗近のことも思ったけども、そのへんは自分のチューニングが狂いがちな自覚があるので、何とも)
つまり天伝と維伝の走馬灯が多かったかな。それはそう。
試衛館走馬灯の背景がきれいな青空だったことも意図的だと思うんだよなあ…青空のつはものってことでしょう? あの慶応甲府では、みんなつはものでしたねということだよね?
以下、思いつきメモ。
前にこういうことを書いていたんだけども、 甲府城攻略マップ、こんな突破の仕方してくると思わなかった。「当たってはならない存在に当たらないように工夫する」のではなく、「真正面からたのもーうして、話をして押し通る」……。
今まで、原作ゲームに忠実にやってきたぶん、この「別ルート」際立ったなあと思うし、劇中で監査官さんがおっしゃっていたようにこんな特命調査慶応甲府、本当に他にはないんだろうな…。
まあ、とーすてにおける「対話」は第一に「刃持て語らおう」であるので、そして今回、新撰組のみなさん、みんなもう存在がかたなであるため(永倉さんが「俺たちは使われてきた」と語ったことも、近藤さんのためなら斬りますと言い切った沖田くんも、みんな自分を誰かのかたなとしているあらわれだったと思う)(ここで廻り出す義伝の走馬灯…大倶利伽羅…)あるじvs愛したかたなという対話カードが連続多発することになり、見ている方の感情もかき乱される、という…。
そうそう、沖田組会話の「向き合え、ってことだよね」でハッとしたんだけど、刃持て語らうときって、物理的に向き合うことになるんだよね、どうしたって。横並びや、背を向けたままではできない語らい。そういう、ことか…と、はじめて気づいた…。
それで、あの、とーすてって原作内のセリフを様々な場面にバシイッと効果的にはめてきて、うわああああってさせることが多いんですけど、今回、あの、土方さんが兼さんのセリフそのまま言い放ったの、新しかったし、めちゃくちゃぐっときた。一瞬、兼さん? えっ、土方さん?ってなるくらい、言い回しも似ていて、つまり、兼さんは…ということじゃん。
あと、監査官さんの「少し泣く」と、やっさだの「僕を愛してくれる人は~」、今までずっと、ようわからんセリフだなって思ってたんだけど、心伝のなかでめちゃくちゃ理解できる文脈で発せられていて、刺さりました。ありがとうございました。
あとは今回、舞台上にいる人たちがみんなやたらめったらでッかくて深くていい声の人が多くて、開演からしばらく???となっていたんだけども、その中でひとり突出して末っ子みたいな声で喋る沖田くんが、めちゃくちゃくっきりしていてよかった。さらにこの沖田くん、おおむね4形態?あるんだけども、ぜんぶ声がちょっとずつ違う…気がした…。
これ、通じる友人には初見の感想として言ったんだけども、新撰組の末の総領娘みたいな沖田くんでした…。
※剣劇三国志の配信見ててよかったなとうっすら思った。(たいしじさんが無口親戚お兄っぽいキャラで、今回のおきたくんがみんなの弟っぽさに満ちていたため)(同じ人が演じていても振り幅があっての「今回はこれ」なんだなとわかって見ることができたというか)
そうそう、声で言うと、そねさん役の方、今回はじめて見たんですけど、たぐいまれなる和声声ですね…。普通にしゃべっているだけで多重録音みたいな響きがあるやつ。ピアノではなくハープシコード。クラリネットでなくオーボエ。いい声だな…と聞き入ってしまった。
以下、前提情報ですけど、幕末/維新エンタメを回避しがちのわりにはまあまあ知ってる人類、で要約される。