みずのそこ
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いってき、いってき

スパンアートギャラリー「種村季弘没後二十年 綺想の美術回廊(第一部)」
都美「大地に耳をすます 気配と手ざわり」
20240907152223-yaburing.png種村氏生前に交流のあった作家さん等の作品を集めた展示。澁澤龍彦、瀧口修造、星新一、稲垣足穂らと交わした書簡なども見ることができた。
書簡の相手先各位の並びや、四谷シモンさん、金子國義さんなどの作品が置いてあるのはわかるんだけど、それ以外にも、わたしが澁澤や種村の本を読むようになる(高校時代)以前、MOEとか詩とメルヘンのラインで知っていた(中学時代)作家さんここに繋がってたんだ…が、今更のようにあって、なかなかだった。滑り込んでおいてよかったな。

最近、一周回って、十代の頃に好きだったものに繋がってるとか、触れるものが先祖返りしてるみたいなことが、ちょいちょいある…

202409071522231-yaburing.png都美。先に見に行っていた家族から、とても良かったと聞いていたのだけど、本当に良かった。
5人の作家さんの作品が、ひとり1室で展示されており、それぞれのボリュームがちょっとした個展。じっくりと味わうことができたのもよかった。

北の果てに移住した人の作品のあとに、南の島に移住した人の作品を見ることになったの、なかなか、こう、自分の中で感じ取って、噛み砕くものが多かったな…という感じもあった。
以前、横須賀でミロコマチコさん見た時、こんなキャプションがあったけれども、
x.com/3000_meters/status/149235312589813...
今回見た作品に、「たくさんのいきものでできている体」というのがあって、ついに…たくさんのいきものがどうじに! という感動もありました。

以下、妄言(何かの展示を見て自分の中に思考や言葉がうずまくとき、作品はきっかけにすぎないので、それらの思考や言葉はすべて作品の感想ではなく、わたしの妄言…)
・死と生というのは「いのち」というひとつの現象の裏と表であって、ただ、見る角度が違うだけだと思うのだけど、この都美の展示、特に川村さん(北の果て)とミロコマチコさん(南の島)の作品は生の側からのものだなあ。ただ、こう、押しつけがましい感じはそんなにしなかったな…生の側のものを押しつけがましい、眩しすぎ、と感じることはままあるのだけど。
・北のいのちといのちは表面で触れ合う、ぶつかり合うイメージ。内面を開くとはそれは内臓のことであって、いちばん熱い部分を見せたら、そのあとは冷たくなっていってしまう、というような…。
・南のいのちはいきなりがばっと両腕とこころをひらいてくるイメージ。おくちも開いている…。腹とかくちのなかとか、やわらかくてあったかいところがいきなり剥き出し…。
・冷たい風に梳かれて輪郭を薄く削がれている時にもっともいのちのかたちがはっきりするような気がする、というわたしの感覚、やっぱりどちらかというと北の側なんだな…

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