2024年8月[15件]
き、来たぞ~、間に合った!!
国際版画美術館、興味深い展示を掛けてくれるしとても良い館なのだけど、駅からまあまあ歩くから暑い時期にはなかなか足が向かない。あと7月は週末の予定が埋まりすぎていた。とはいえ、この展示は第一報から楽しみにしていたものなので絶対絶対行くんだよ、という強い意思のもと、やっとこさ。ピーク時に比べたら最高気温が3、4度低めになってきたのも助かった。
めーちゃくちゃ良かった。行って良かった。清原啓子と門坂流。 どれもこれも画面の密度が大変高く、受け取る情報量が多い。大変お腹が空いた。中途半端な時間だったけれど駅前で食べてから向かって良かった。展示室を出てすぐ館の喫茶で軽く追加を食べました。おかげで1日4食になった。
わたしは、にんげんのからだという物体があまり好きではない。が、美術館に通っていると「曲線」というものに魅力、美やエロスを感じることがわりとあり(そもそも、子どもの頃はじめてエロスを感じた物体は空き地に捨てられやわらかに錆びた洗面台の裏側だった)、そういう「曲線」は絵画の画面上では人体に与えられがちだよなあ…ということを、大変強く意識した展示エリアもあった。高校生の時だったらあのあたりの展示がいちばん好きだったかもなあ…ベルメールあったし。
フェティシズムって部分へのフォーカスだから、対象がたとえ人体だとしてもそれを物体として解体していく感じが強いな、と思うのだけど、そこに浮かびあがるエロスって…何だろうな…という気分。エロスとタナトスの隣接ってわりと言われがちだし、そういう側面わかるんだけど、この方向に歩いて来てもそれあるんだーという感想を持った。
そして、ひたすらに線の美しさをえんえんと見ていられるという点では、門坂流作品が本当に良かった。何往復もしてしまった。何が描かれていても線にすごみがありすぎて、「何」よりも「線」を見てしまう。とはいえ「線」がより活きる画題というのはあるように思われ、波や雲などのスケール感があって静止していないもの、が特に好きでした。
清原啓子は最初からお目当てだったので置いておくとして、あと特に好きだったのはエリック・デマジエールと星野美智子の展示ゾーン。ふたりともボルヘスの「バベルの図書館」を画題にしていて、特にデマジエールのもう何だかようわからん域の遠近法と構図は圧倒的だった。(そして、今回のキャプションでのピラネージポイントはここでした。国際版美のピラネージへの言及好きなので、今回はここだ~!と変な喜び方をしてしまう)
ところで清原啓子の作品集、普通にショップに置いてあったので奥付を見たら、2022年に3刷が出ていたんですね…。わたしが必死に探し回って中古ブックを購入したの、ちょうど2刷が尽きた頃だったんだなあ…。今なら新品が買える。
今回の展示の図録はありませんでした。完売ではなく存在が無だった模様。代わりに?A5サイズ16Pのフルカラー図版付解説冊子がもらえる。なんか、このタイミングで図録が出ないの、建替え再開発とかのからみかなあ…と勘ぐってしまう。
国際版画美術館、興味深い展示を掛けてくれるしとても良い館なのだけど、駅からまあまあ歩くから暑い時期にはなかなか足が向かない。あと7月は週末の予定が埋まりすぎていた。とはいえ、この展示は第一報から楽しみにしていたものなので絶対絶対行くんだよ、という強い意思のもと、やっとこさ。ピーク時に比べたら最高気温が3、4度低めになってきたのも助かった。
めーちゃくちゃ良かった。行って良かった。清原啓子と門坂流。 どれもこれも画面の密度が大変高く、受け取る情報量が多い。大変お腹が空いた。中途半端な時間だったけれど駅前で食べてから向かって良かった。展示室を出てすぐ館の喫茶で軽く追加を食べました。おかげで1日4食になった。
わたしは、にんげんのからだという物体があまり好きではない。が、美術館に通っていると「曲線」というものに魅力、美やエロスを感じることがわりとあり(そもそも、子どもの頃はじめてエロスを感じた物体は空き地に捨てられやわらかに錆びた洗面台の裏側だった)、そういう「曲線」は絵画の画面上では人体に与えられがちだよなあ…ということを、大変強く意識した展示エリアもあった。高校生の時だったらあのあたりの展示がいちばん好きだったかもなあ…ベルメールあったし。
フェティシズムって部分へのフォーカスだから、対象がたとえ人体だとしてもそれを物体として解体していく感じが強いな、と思うのだけど、そこに浮かびあがるエロスって…何だろうな…という気分。エロスとタナトスの隣接ってわりと言われがちだし、そういう側面わかるんだけど、この方向に歩いて来てもそれあるんだーという感想を持った。
そして、ひたすらに線の美しさをえんえんと見ていられるという点では、門坂流作品が本当に良かった。何往復もしてしまった。何が描かれていても線にすごみがありすぎて、「何」よりも「線」を見てしまう。とはいえ「線」がより活きる画題というのはあるように思われ、波や雲などのスケール感があって静止していないもの、が特に好きでした。
清原啓子は最初からお目当てだったので置いておくとして、あと特に好きだったのはエリック・デマジエールと星野美智子の展示ゾーン。ふたりともボルヘスの「バベルの図書館」を画題にしていて、特にデマジエールのもう何だかようわからん域の遠近法と構図は圧倒的だった。(そして、今回のキャプションでのピラネージポイントはここでした。国際版美のピラネージへの言及好きなので、今回はここだ~!と変な喜び方をしてしまう)
ところで清原啓子の作品集、普通にショップに置いてあったので奥付を見たら、2022年に3刷が出ていたんですね…。わたしが必死に探し回って中古ブックを購入したの、ちょうど2刷が尽きた頃だったんだなあ…。今なら新品が買える。
今回の展示の図録はありませんでした。完売ではなく存在が無だった模様。代わりに?A5サイズ16Pのフルカラー図版付解説冊子がもらえる。なんか、このタイミングで図録が出ないの、建替え再開発とかのからみかなあ…と勘ぐってしまう。
ログストを何度も噛み締めている…味…
あいだにひとり挟まっているのが本当に…良き…しかも食べ物がらみなんですよ。これこそ「変化」の象徴なんだなと思ったし、挟まってるのがファウストなのも本当に良い…
#mh
あいだにひとり挟まっているのが本当に…良き…しかも食べ物がらみなんですよ。これこそ「変化」の象徴なんだなと思ったし、挟まってるのがファウストなのも本当に良い…
#mh
冒頭の小説2編、どちらもとてもよかった。そうだ、こういう味の時間を過ごすのが好きだったな…とじわじわ思い出すような感覚。どちらも短編だったけど、小説をきちんと読み通したのは、もうずいぶんと久しぶり。
文學界を買ったので文學界をめくっている。袋も表紙も不要ですと伝えたところ、では栞だけ挟んでおきますねと丸善の人が挟んでくれた栞、今見たら2枚重なっていた。ざっと目次に目を通して、そういえばこの号を買お...
(2024.8.18(Sun) 18:01:40)
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文學界を買ったので文學界をめくっている。
袋もカバーも不要ですと伝えたところ、では栞だけ挟んでおきますねと丸善の人が挟んでくれた栞、今見たら2枚重なっていた。ざっと目次に目を通して、そういえばこの号を買おうと思ったの、山中さんと安田さんの連作が読みたかったからだったと思い出したので、2箇所に2枚の栞を挟むことにする。
はるかな過去に短歌の読者になろうとしたとき、「単なる読者」の居場所がどこにもないことに深い恨みを抱いたため、未だに短歌誌を手に取ることはあまりないのだが(自分の恨み深さを実感できるという感謝はある)(あの頃、短歌ヴァーサスに出会えなかったらさらに恨みは深くなっていたと思う)、文芸誌というものは読者に向けて編集されているのでそれだけで安心感がある。
だから、文芸誌に短歌載ってくれるとありがたいな。
中高時代は文藝、海燕、しばし離れていた時期を経て新潮、比較的最近だとスピン、すばる…等、手が伸びがちな個々の雑誌に変遷はあれ、「文芸誌」というもののフォーマットは横(種)にも縦(時代)にもわりと変わりがなくて、馴染みもあるし。
(目次等の物理的フォーマットで言うなら、ユリイカとかも親戚筋の認識あり)
とはいえ、ちょっと前までの文學界は表紙が毎号苦手すぎて買うことができずにいたのであった(こっち見んな!とおびえていた)。1度だけどうしても掲載作が気になって買ったものは表紙にファンシーペーパーを貼り付けてある。
今はそんなこともなく、買いたいと思った号は買える。
水色と茶色の組み合わせはテッパンでかわいいという認識があるため、最新号などとてもかわいい。配色がまるでデパ地下だな、と思っている。うきうき買った。本はうきうき買いたいよな。
袋もカバーも不要ですと伝えたところ、では栞だけ挟んでおきますねと丸善の人が挟んでくれた栞、今見たら2枚重なっていた。ざっと目次に目を通して、そういえばこの号を買おうと思ったの、山中さんと安田さんの連作が読みたかったからだったと思い出したので、2箇所に2枚の栞を挟むことにする。
はるかな過去に短歌の読者になろうとしたとき、「単なる読者」の居場所がどこにもないことに深い恨みを抱いたため、未だに短歌誌を手に取ることはあまりないのだが(自分の恨み深さを実感できるという感謝はある)(あの頃、短歌ヴァーサスに出会えなかったらさらに恨みは深くなっていたと思う)、文芸誌というものは読者に向けて編集されているのでそれだけで安心感がある。
だから、文芸誌に短歌載ってくれるとありがたいな。
中高時代は文藝、海燕、しばし離れていた時期を経て新潮、比較的最近だとスピン、すばる…等、手が伸びがちな個々の雑誌に変遷はあれ、「文芸誌」というもののフォーマットは横(種)にも縦(時代)にもわりと変わりがなくて、馴染みもあるし。
(目次等の物理的フォーマットで言うなら、ユリイカとかも親戚筋の認識あり)
とはいえ、ちょっと前までの文學界は表紙が毎号苦手すぎて買うことができずにいたのであった(こっち見んな!とおびえていた)。1度だけどうしても掲載作が気になって買ったものは表紙にファンシーペーパーを貼り付けてある。
今はそんなこともなく、買いたいと思った号は買える。
水色と茶色の組み合わせはテッパンでかわいいという認識があるため、最新号などとてもかわいい。配色がまるでデパ地下だな、と思っている。うきうき買った。本はうきうき買いたいよな。
これは20年以上前に、渋谷のパルコか池袋のリブロかで何となく心惹かれて買ったものなのだが(仏語なので文字部分はさっぱり読めず、絵を目的に)
2024年、現在、東京ステーションギャラリーでフォロン展が行われており、本を1冊買ったきりだった画家さんの作品と再会と相成ったのだった。
ベルギー生まれの画家であることも、マグリットに惹かれていたことも、何も知らないままだったので、一気に情報量が増えてしまったし、展示の内容も盛りだくさんで幅もあってとてもよかった。立体ものも好きな作品たくさんありました。
世界人権宣言にイラストを提供されていたんだな。このあたりの原画も見られます。
www.amnesty.or.jp/human-rights/passport/
そしてアーティゾン。
前情報をまったく仕入れずに見に行ったので(東京駅周辺美術館共通券を持っていたため本当にふらっと)展示タイトルを見てもどんな展示か想像がつかなかったのだが、展示室に入ればすぐにわかった。 作品を、本来鑑賞が想定される「室内」に設えたかたちで見せるという試みだ、これ!
学芸員さん、楽しかっただろうなあ。
別のフロアはまた別のテーマ、切り口で見せてくれています。※展示はすべて所蔵品。
2024年、現在、東京ステーションギャラリーでフォロン展が行われており、本を1冊買ったきりだった画家さんの作品と再会と相成ったのだった。
ベルギー生まれの画家であることも、マグリットに惹かれていたことも、何も知らないままだったので、一気に情報量が増えてしまったし、展示の内容も盛りだくさんで幅もあってとてもよかった。立体ものも好きな作品たくさんありました。
世界人権宣言にイラストを提供されていたんだな。このあたりの原画も見られます。
www.amnesty.or.jp/human-rights/passport/
そしてアーティゾン。
前情報をまったく仕入れずに見に行ったので(東京駅周辺美術館共通券を持っていたため本当にふらっと)展示タイトルを見てもどんな展示か想像がつかなかったのだが、展示室に入ればすぐにわかった。 作品を、本来鑑賞が想定される「室内」に設えたかたちで見せるという試みだ、これ!
学芸員さん、楽しかっただろうなあ。
別のフロアはまた別のテーマ、切り口で見せてくれています。※展示はすべて所蔵品。
夜/読耳寄り。ポスターデザイン好きすぎる。
朗読+ピアノ伴奏。これはどういうことかというと、目を瞑ることができる公演ということです。
ライブ・コンサートによく行っていた時期があるのだが、わたしはわりと目を瞑る客だった。読書が視覚と脳内を直結させるように、聴覚と脳内を直結させて、頭の中をぐんぐん広げてゆくことができる。朗読+ピアノなら、それが可能じゃないですか! わたし向き!
薄明かりと街のざわめき音で開演したのだが、冒頭、3秒くらいかな、ホール内の灯りがほんとうにひとつ残らず落とされて、現代人類があまり体験することない真っ暗闇に充たされる。また、ざわめき音が途切れたとき、そうか、光も音も、「それが無い」ことを知らしめるために「有る」のかもしれないと思い、そのまま噛み締めながら、結構、目を瞑って聴いていた。
で、セトリ(セトリではない)
江戸川乱歩『人間椅子』
アンデルセン『マッチ売りの少女』
梅津瑞樹『演劇の街』
いや『人間椅子』さあ、途中で目を開いたときに、見えたものがほんとうに気持ち悪くて。気持ち悪さを抱かせる話だから気持ち悪いと思わせるのは読む人がうまいからなんですけど。「朗読者が目の前にいる」「朗読者が俳優である」ことによって視覚でもあらわされる気持ち悪さ(作品として正しい気持ち悪さ)、目がそらせなくなってそこからは目を開いて聴かざるをえず。いや~、気持ち悪い話だよねえ!
舞台上に設えられたランプに灯を入れて、『マッチ売りの少女』。
先程の気持ち悪さを相殺させる選曲か?と思ったが、まあ後味は理不尽ですよね。此の世の理不尽。信仰で装飾されているところがまた、ことさらに。
3作の中でいちばん淡々とした味付けだったのがまた…読み手の視点が、少女カメラじゃなくて、大晦日の夜の街カメラだったような気がしてしまった。街の人ではなく、街。なんなら、少女がマッチを擦り付けていた壁とか、そういうもの。
『演劇の街』。始まってすぐ、あ、残機1に入ってたあの小説だ。というのはわかった。
こういう朗読系のもので、近代以前の古い作品が選ばれがちなのは、著作権とか利用料とかのからみなのはわかるんですよね。だから、自作という武器はけっこう強い。強いので、今回も1作は自作をお読みになるだろうなとは思っていたんですが。
そうか、「自作」の「既発表作」がある人になったんだ。それゆえ、この作品は既にこちらが読んでいるものだった、というのが、体験としてとても良かった。いや、これ聴けてよかったなあ。
最後のアレです。手を叩く音。
原作というか、書籍として印刷された「小説」は、語り手による発話+ラスト1行のみト書きという構成により、戯曲かな?と見える作品になっている。あの最終行は、スタンダードに小説らしく書くなら、例えば、「パァン、と。手を叩く音がした。」とかになるところ、あえて、ト書きっぽく書いてあるのだと思う。そのことで醸し出される言い様のない逃れられなさ、理不尽さみたいなものがある。
これが耳から聞く形式になると、本当にすっぱりと声を、朗読/会話という生き物の首を落とすように、コンマ以下秒の鋭い音が鳴り響く。
なんか、その、あまりにも見事で、拍手をしながら口元がゆるんでもうにやにやにやにやしてしまった。
余韻としての感情が入る隙がない。やられた!という感想しか浮かばなかった。
光も音も、「それが無い」ことを知らしめるために「有る」のかも、とさっき書いたけど、最後の最後に、「有る」音の強烈な「有る」を突き刺されてしまった……。
だから、「朗読だけでかっこよく終わりたかった」とおっしゃっていた、梅津氏の気持ちはめちゃくちゃわかるんですよ。終わっていただいて構わなかった。そういう終わり方だった。
でも、あれだけ拍手されて、影ナレが影ナレで終わらなくなって、袖の扉が微妙に開いたり閉まったりした挙げ句、ご挨拶に出ていらしてしまったの、それはそれでチャーミングでした。
恒例行事として定期的に開催されると良いのではないかな。
ライブツアーを繰り返して演じ手と客席に体験が積み重なっていくと、たまには、アンコールに無言で出てきてめちゃくちゃ長い暗い曲1曲だけ演って無言で去る、みたいなことも演出として成り立つようになると思います。(客側も、あ、これはもう聴いたら帰るやつだわ、と読み取って、恒例のダブルアンコ求めずにみんなそのまま帰ったもんな)(体験談)
朗読+ピアノ伴奏。これはどういうことかというと、目を瞑ることができる公演ということです。
ライブ・コンサートによく行っていた時期があるのだが、わたしはわりと目を瞑る客だった。読書が視覚と脳内を直結させるように、聴覚と脳内を直結させて、頭の中をぐんぐん広げてゆくことができる。朗読+ピアノなら、それが可能じゃないですか! わたし向き!
薄明かりと街のざわめき音で開演したのだが、冒頭、3秒くらいかな、ホール内の灯りがほんとうにひとつ残らず落とされて、現代人類があまり体験することない真っ暗闇に充たされる。また、ざわめき音が途切れたとき、そうか、光も音も、「それが無い」ことを知らしめるために「有る」のかもしれないと思い、そのまま噛み締めながら、結構、目を瞑って聴いていた。
で、セトリ(セトリではない)
江戸川乱歩『人間椅子』
アンデルセン『マッチ売りの少女』
梅津瑞樹『演劇の街』
いや『人間椅子』さあ、途中で目を開いたときに、見えたものがほんとうに気持ち悪くて。気持ち悪さを抱かせる話だから気持ち悪いと思わせるのは読む人がうまいからなんですけど。「朗読者が目の前にいる」「朗読者が俳優である」ことによって視覚でもあらわされる気持ち悪さ(作品として正しい気持ち悪さ)、目がそらせなくなってそこからは目を開いて聴かざるをえず。いや~、気持ち悪い話だよねえ!
舞台上に設えられたランプに灯を入れて、『マッチ売りの少女』。
先程の気持ち悪さを相殺させる選曲か?と思ったが、まあ後味は理不尽ですよね。此の世の理不尽。信仰で装飾されているところがまた、ことさらに。
3作の中でいちばん淡々とした味付けだったのがまた…読み手の視点が、少女カメラじゃなくて、大晦日の夜の街カメラだったような気がしてしまった。街の人ではなく、街。なんなら、少女がマッチを擦り付けていた壁とか、そういうもの。
『演劇の街』。始まってすぐ、あ、残機1に入ってたあの小説だ。というのはわかった。
こういう朗読系のもので、近代以前の古い作品が選ばれがちなのは、著作権とか利用料とかのからみなのはわかるんですよね。だから、自作という武器はけっこう強い。強いので、今回も1作は自作をお読みになるだろうなとは思っていたんですが。
そうか、「自作」の「既発表作」がある人になったんだ。それゆえ、この作品は既にこちらが読んでいるものだった、というのが、体験としてとても良かった。いや、これ聴けてよかったなあ。
最後のアレです。手を叩く音。
原作というか、書籍として印刷された「小説」は、語り手による発話+ラスト1行のみト書きという構成により、戯曲かな?と見える作品になっている。あの最終行は、スタンダードに小説らしく書くなら、例えば、「パァン、と。手を叩く音がした。」とかになるところ、あえて、ト書きっぽく書いてあるのだと思う。そのことで醸し出される言い様のない逃れられなさ、理不尽さみたいなものがある。
これが耳から聞く形式になると、本当にすっぱりと声を、朗読/会話という生き物の首を落とすように、コンマ以下秒の鋭い音が鳴り響く。
なんか、その、あまりにも見事で、拍手をしながら口元がゆるんでもうにやにやにやにやしてしまった。
余韻としての感情が入る隙がない。やられた!という感想しか浮かばなかった。
光も音も、「それが無い」ことを知らしめるために「有る」のかも、とさっき書いたけど、最後の最後に、「有る」音の強烈な「有る」を突き刺されてしまった……。
だから、「朗読だけでかっこよく終わりたかった」とおっしゃっていた、梅津氏の気持ちはめちゃくちゃわかるんですよ。終わっていただいて構わなかった。そういう終わり方だった。
でも、あれだけ拍手されて、影ナレが影ナレで終わらなくなって、袖の扉が微妙に開いたり閉まったりした挙げ句、ご挨拶に出ていらしてしまったの、それはそれでチャーミングでした。
恒例行事として定期的に開催されると良いのではないかな。
ライブツアーを繰り返して演じ手と客席に体験が積み重なっていくと、たまには、アンコールに無言で出てきてめちゃくちゃ長い暗い曲1曲だけ演って無言で去る、みたいなことも演出として成り立つようになると思います。(客側も、あ、これはもう聴いたら帰るやつだわ、と読み取って、恒例のダブルアンコ求めずにみんなそのまま帰ったもんな)(体験談)
印刷博物館で硬券きっぷの印刷体験教室。台風の様子を見ながらになってしまったが、往復ともほぼ傘を差さずに済んだ。相変わらずわたしへの守りが強い。まあ、行きは雨雲の切れるタイミングを意図的に見計らったんだけど。
硬券きっぷ。モチーフは銀河鉄道の夜。体験前のレクチャー部分では、印刷博物館らしい観点からの原作解説もあり、それも面白かった。
券面の印刷機。現役時代には電動だったものを手動に作り替えてある。印刷機構が4つ組み込まれており、裏、裏、表、表、と印刷されて出てくる。
印博は何度か訪れているけど、工房に入ったのははじめて! あまりにも…たのしかった…。ルビ用の最小サイズの活字も置かれていて、これは! コロボックルが新聞を刷ったやつ! と興奮。佐藤さとるさんのコロボックルシリーズでとりわけ好きなエピソードだよ、コロボックル新聞。 ヘルベチカだ! そうか、考えてみれば日本のフォントと同様に、アルファベットのフォントにも元になった活字が存在するもの、あるよねえ…という話をしつつ、2階の無料展示室のほうに向かったら、まさに、その、現在もフォントとして生きているアルファベット活字たちの展示が! これが活字の銀河だよ…
硬券きっぷ。モチーフは銀河鉄道の夜。体験前のレクチャー部分では、印刷博物館らしい観点からの原作解説もあり、それも面白かった。
券面の印刷機。現役時代には電動だったものを手動に作り替えてある。印刷機構が4つ組み込まれており、裏、裏、表、表、と印刷されて出てくる。
印博は何度か訪れているけど、工房に入ったのははじめて! あまりにも…たのしかった…。ルビ用の最小サイズの活字も置かれていて、これは! コロボックルが新聞を刷ったやつ! と興奮。佐藤さとるさんのコロボックルシリーズでとりわけ好きなエピソードだよ、コロボックル新聞。 ヘルベチカだ! そうか、考えてみれば日本のフォントと同様に、アルファベットのフォントにも元になった活字が存在するもの、あるよねえ…という話をしつつ、2階の無料展示室のほうに向かったら、まさに、その、現在もフォントとして生きているアルファベット活字たちの展示が! これが活字の銀河だよ…
先月今月と何度か実家方面往復していて、市立図書館の隣の建設工事は何だろう?と気になっていた。弟に尋ねたところ、市の公文書館を作っているらしい。歴史資料館の老朽化にともない、公文書館の機能併せて新築とのこと。
市町村の公文書館ってあまり聞いたことがないな?とあれこれぐぐっていたらいろいろ出てきた。あとでゆっくり読もう。PDFは落ち着いて読みたい。
地方公文書館について(内閣官房)
www.cas.go.jp/jp/seisaku/koubun/dai5/sir...
動き出す自治体 公文書と地域活性化をめざして(日本文書情報マネジメント協会)
www.jiima.or.jp/wp-content/uploads/im-pd...
【公文書館着工】適切運用に残る課題(福島民報)
www.minpo.jp/news/detail/20230603107691
これはPDFじゃないからざっと読んで、アーキビスト県内にひとりもいないと書いてあったけど、国立公文書館のアーキビストリスト見たら、今は県の施設におひとりいるみたい。
市町村の公文書館ってあまり聞いたことがないな?とあれこれぐぐっていたらいろいろ出てきた。あとでゆっくり読もう。PDFは落ち着いて読みたい。
地方公文書館について(内閣官房)
www.cas.go.jp/jp/seisaku/koubun/dai5/sir...
動き出す自治体 公文書と地域活性化をめざして(日本文書情報マネジメント協会)
www.jiima.or.jp/wp-content/uploads/im-pd...
【公文書館着工】適切運用に残る課題(福島民報)
www.minpo.jp/news/detail/20230603107691
これはPDFじゃないからざっと読んで、アーキビスト県内にひとりもいないと書いてあったけど、国立公文書館のアーキビストリスト見たら、今は県の施設におひとりいるみたい。
『左右を哲学する』(清水将吾)
www.pneumasha.com/web%E3%82%B7%E3%83%A7%...
頭から最後まで。あまりにも久しぶりに本を一冊読み通した。
積んでおけない(借り物)という一点が功を奏した、な…。
ずっと面白かったけれど、いちばん強い文章はあとがきにあったような気がする。いや、本文は200ページ近くを費やした思考実験だから、強さが魅力ではないのは、それはそうなのだが。
『現代におけるリアリティの喪失は、虚の世界の喪失と、表裏一体なのかもしれません。』
この波に乗って(?)、次も読み通したいな。今いちばん読み進めているの、起きられない朝のための短歌入門だったかな。
www.pneumasha.com/web%E3%82%B7%E3%83%A7%...
頭から最後まで。あまりにも久しぶりに本を一冊読み通した。
積んでおけない(借り物)という一点が功を奏した、な…。
ずっと面白かったけれど、いちばん強い文章はあとがきにあったような気がする。いや、本文は200ページ近くを費やした思考実験だから、強さが魅力ではないのは、それはそうなのだが。
『現代におけるリアリティの喪失は、虚の世界の喪失と、表裏一体なのかもしれません。』
この波に乗って(?)、次も読み通したいな。今いちばん読み進めているの、起きられない朝のための短歌入門だったかな。
神護寺展→国際こども図書館→西美。
神護寺は高尾曼荼羅を目当てに行ったんだけど、最後の仏像の展示室が、トーハクお得意の仏像照明大炸裂していて最高すぎた…あの…前撮りのポストカードじゃなくて、ステージフォトが欲しいんだけど…コンビニプリントとかしませんか…?
この撮影OKゾーン抜けて次の部屋に入った瞬間、小さく声出たというか、ヒュッて息の音出たもんね…。お寺さんではなく博物館で仏像を観ることの醍醐味が堪能できて本当に最高だった。あの展示室だけで1時間はいられる。
あと、最初の方の展示は空海と最澄のどちらも好きな人が見るとなかなかだったのでは…儀式の手はずを空海が直筆したメモで、筆頭に最澄のお名前書いてあったり。
こども図書館の展示たのしかった。すべて原語の本を展示(手に取って読める)って、絵本ならではでとても良い。
考えてみればそれはそうなんだけど、アラビア語の本は右とじなのだとはじめて気づいた。
今日寄らないと見逃しそう!と西美に行ったらなぜか(?)全館無料デーだったありがとうございます。子どもたちも楽しそうに写本ビンゴ(用紙が配られていた)しててよかったね。外暑いしね。
聖務日課書の説明を読んで、時祷書と何が違うんだろう? と思いながら展示を見ていたら、直後に時祷書の展示エリアがあり、プロ向けと一般向けの違いだということがわかりました。
神護寺は高尾曼荼羅を目当てに行ったんだけど、最後の仏像の展示室が、トーハクお得意の仏像照明大炸裂していて最高すぎた…あの…前撮りのポストカードじゃなくて、ステージフォトが欲しいんだけど…コンビニプリントとかしませんか…?
この撮影OKゾーン抜けて次の部屋に入った瞬間、小さく声出たというか、ヒュッて息の音出たもんね…。お寺さんではなく博物館で仏像を観ることの醍醐味が堪能できて本当に最高だった。あの展示室だけで1時間はいられる。
あと、最初の方の展示は空海と最澄のどちらも好きな人が見るとなかなかだったのでは…儀式の手はずを空海が直筆したメモで、筆頭に最澄のお名前書いてあったり。
こども図書館の展示たのしかった。すべて原語の本を展示(手に取って読める)って、絵本ならではでとても良い。
考えてみればそれはそうなんだけど、アラビア語の本は右とじなのだとはじめて気づいた。
今日寄らないと見逃しそう!と西美に行ったらなぜか(?)全館無料デーだったありがとうございます。子どもたちも楽しそうに写本ビンゴ(用紙が配られていた)しててよかったね。外暑いしね。
聖務日課書の説明を読んで、時祷書と何が違うんだろう? と思いながら展示を見ていたら、直後に時祷書の展示エリアがあり、プロ向けと一般向けの違いだということがわかりました。
とりあえず感想として残しておきたいのエンディング(クレジット流れているところ)なんだけど…。上下に流れていた番傘が、気づいたら右奥と左前に分かれてねじれるように接近する感じ、あれDNA螺旋構造っぽく見えてしまったんだけど…つまり円環の絡み? あるいは、片方がいつものステ本丸時間軸で、片方が廻時間軸か?