みずのそこ
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いってき、いってき

鈴木康広展 ただ今、発見しています。
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タイトルにもなっている新作。「発券」ボタンを押したはずなのに、「ただいまハッケンしています」と繰り返しながら一生懸命発見してくれている。20240811205610-yaburing.png 202408112056101-yaburing.png
発見してもらった券(右)と、今回撮影してきたまばたき証明書(左下)と、2017年に撮影したまばたき証明書(左上)。202408112051375-yaburing.png

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先月今月と何度か実家方面往復していて、市立図書館の隣の建設工事は何だろう?と気になっていた。弟に尋ねたところ、市の公文書館を作っているらしい。歴史資料館の老朽化にともない、公文書館の機能併せて新築とのこと。
市町村の公文書館ってあまり聞いたことがないな?とあれこれぐぐっていたらいろいろ出てきた。あとでゆっくり読もう。PDFは落ち着いて読みたい。

地方公文書館について(内閣官房)
www.cas.go.jp/jp/seisaku/koubun/dai5/sir...

動き出す自治体 公文書と地域活性化をめざして(日本文書情報マネジメント協会)
www.jiima.or.jp/wp-content/uploads/im-pd...

【公文書館着工】適切運用に残る課題(福島民報)
www.minpo.jp/news/detail/20230603107691
これはPDFじゃないからざっと読んで、アーキビスト県内にひとりもいないと書いてあったけど、国立公文書館のアーキビストリスト見たら、今は県の施設におひとりいるみたい。

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『左右を哲学する』(清水将吾)
www.pneumasha.com/web%E3%82%B7%E3%83%A7%...

頭から最後まで。あまりにも久しぶりに本を一冊読み通した。
積んでおけない(借り物)という一点が功を奏した、な…。

ずっと面白かったけれど、いちばん強い文章はあとがきにあったような気がする。いや、本文は200ページ近くを費やした思考実験だから、強さが魅力ではないのは、それはそうなのだが。
『現代におけるリアリティの喪失は、虚の世界の喪失と、表裏一体なのかもしれません。』

この波に乗って(?)、次も読み通したいな。今いちばん読み進めているの、起きられない朝のための短歌入門だったかな。

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神護寺展→国際こども図書館→西美。
神護寺は高尾曼荼羅を目当てに行ったんだけど、最後の仏像の展示室が、トーハクお得意の仏像照明大炸裂していて最高すぎた…あの…前撮りのポストカードじゃなくて、ステージフォトが欲しいんだけど…コンビニプリントとかしませんか…?
202408031504001-yaburing.pngこの撮影OKゾーン抜けて次の部屋に入った瞬間、小さく声出たというか、ヒュッて息の音出たもんね…。お寺さんではなく博物館で仏像を観ることの醍醐味が堪能できて本当に最高だった。あの展示室だけで1時間はいられる。
あと、最初の方の展示は空海と最澄のどちらも好きな人が見るとなかなかだったのでは…儀式の手はずを空海が直筆したメモで、筆頭に最澄のお名前書いてあったり。

こども図書館の展示たのしかった。すべて原語の本を展示(手に取って読める)って、絵本ならではでとても良い。
考えてみればそれはそうなんだけど、アラビア語の本は右とじなのだとはじめて気づいた。202408031504002-yaburing.png 
今日寄らないと見逃しそう!と西美に行ったらなぜか(?)全館無料デーだったありがとうございます。子どもたちも楽しそうに写本ビンゴ(用紙が配られていた)しててよかったね。外暑いしね。202408031504003-yaburing.png  202408031504004-yaburing.png  202408031504005-yaburing.png
聖務日課書の説明を読んで、時祷書と何が違うんだろう? と思いながら展示を見ていたら、直後に時祷書の展示エリアがあり、プロ向けと一般向けの違いだということがわかりました。

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原宿でギャラリー2軒ののち、桃パフェのち静嘉堂文庫美術館のこんのすけナイト(?)
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カシワイさんの個展は、火曜に行くつもりで早退にしたのだがあまりに疲れていて早退したぶんごんごん昼寝をして終わってしまったため今日に…ピンバッヂもうなかったね、そうね…ステッカーは買わせてもらいました。
窓際に置かれていたモノクロ画のファイルにいたるまで、どの世界も、見ているとそこにぽつんと投げ出されたような気分になる素敵なイラストたち。

ナイト・ミュージアムはわたしだけ取れてしまったのでひとり参加だったんだけど、ひとりでも楽しかった。ゆっくり見られました。
こんのすけパイセンともちちかさんとでスリーショット撮ってもらった。

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源氏供養のことを「言い伝え」くらいの認識でいたんだけれど、あれは物語か…そうだね物語だ…と、石山寺で月を観る紫式部の絵に附けられた解説文を読みながら唸ってしまった…。個人の執筆による最古の長編の作者が、物語の主人公として語られた、というような内容だったと思う。

三十六歌仙図から歌枕の屏風絵、天狗、ネズミ、キツネ、源氏物語絵図の屏風、最後は近代における物語の道具化まで語られる展示。
今日の気分にフィットしたものが見られて良かった。
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トーハクの内藤礼の覚え書き(書きかけ)、今月のWindowsアップデートで失ったのでどうしようか…

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先月まほすてのパンフレットを購入してから、子どもの頃ながめていた美術全集(母親のもちもの)が、全ページばらばらになるやつだったなあ…と思い出していたけど、ちょっと検索しても出てこなくて、どこの出版社のものだったのか等、気になっていた。
のを、確かめてこられたので、メモ画像。ほるぷだったか…意外。タイトルに「全集」と入っていないから、それで検索引っかからなかったのかも。

二つ折りの台紙の表1にタイトルとデッサン画、表2にメイン作品の解説、表3にメイン作品のカラー図版が貼られていて、表4は画家の生涯や作風や、当時の美術について等の解説が入っている。表3がおもてになるように折り返せば額に入れることもできるというつくり。
気に入った絵を抜き取って、自分の机のひきだしに入れておいたりしたな。わたしのざっくりした西洋美術の基礎知識、土台はだいたいこの全集で読んだんだと思う。

監修に「井上靖」の名前があるのはどういうことだ?とぐぐってみたら、作家になる前は新聞記者として美術の担当だったのか。

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将来的にはわたしが受け継ぐ、という約束をした。

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心伝の感想として、わりと変なところをうろうろしている自覚はあるんだけども、初見時(6/15夜)、もしかしたらいちばん衝撃を受けたのは、「下っ端ソコーグンちゃんたちが、一般の人間に擬態していた」ことだったかもしれなかった。
特命調査においては、これまでも、刀ステで言う「朧」の存在があったけど、それって、歴史の名の残る存在の専売特許みたいなところがあり、下っ端はみんな普通に(?)異形の者としてそこにいたんですよ。何なら、ジョ伝の官兵衛なんか、異形たちと主従関係ですらあった(官兵衛の前に静かにひれ伏すソコーグンちゃんたちを観た時の感情が忘れられない…彼らだって自分たちを使ってくれるあるじが欲しいんだなという)
なんかね、「近代」なんだなって思ったんですよね。文久から慶応って1、2年しか離れていないのに、もう近代。
もはや怪異が怪異のままで存在しにくい世界なんだなと思ってしまった。
これほんと唸り声出るかと思うほどぐっさりきたところです、個人的に。
(維伝…文久土佐では龍馬の拳銃が「先進」だったけれども、心伝…慶応甲府では四斤山砲が普及品だったことを思う…)

この「近代」感、心伝の慶応甲府特命調査における「改変の小ささ」「目的のささやかさ」(そして、ささやかゆえに切実であることも含め)にも効いているなあと思っていて。
これは維伝もそうなんだけど、「もはや天下はそこにはない」んですよね…。
虚~悲+天无に存在するのは、世の頂点に立てば世を変えていくことができる、という天下取り思考であり、政宗様が「見果てぬ夢」と呼んだものも義輝様が奪われたものも、ねね様と秀頼様が燃える様を見つめていたものも、天下だった。(で、たぶんこのとーすて天下シリーズの根底に信長の存在があって、裏メロとして如水の存在があると思うけどそれはまた別の話)
だが、武将とか将軍とか、そういう圧倒的な「個」が手にし、統べ、左右できるような世の中は、もう存在していない。慶応4年は明治元年です。近代なんだ。

維、綺、心は特命調査シリーズなので、いずれ放棄される分岐世界が舞台であり、そもそもそこに「天下が存在していない」みたいな部分はあるんだけども。心伝、とりわけささやかだった。言ってみれば、新撰組というサークルのアイデンティティの話だった気がするし。(そして、だからこそ、われわれ後世の人間たちが新撰組というものに対して見た夢…愛…鎖…の話でもあったのだと思う…)

このあたりのことをずっとぐるぐるしていた。
新撰組にも役者陣にも思い入れを持たない者でも、心伝を見ているあいだ廻りつづける走馬灯がたしかにあって、それは同じ刀ステシリーズの過去作たちなんですよ! という話ともうっすら繋がっている感想なのかもしれないな。
だって、ここまでとーすてで描かれてきたものの話はしているけど、歴史の話はぜんぜんしていないものな。

井の中の蛙も青い空の高さだけは知っていると近藤さんが語れば青空のつはものを思い、斉藤さんや沖田くんが人斬りの心を語れば以蔵さんと肥前くんを思い、清光が沖田くんに狸親父の話を聞かせていればそうかこの清光はこの250年の始まりと終わりに立ち会ったんだなと思う…(あと、たまに三日月宗近のことも思ったけども、そのへんは自分のチューニングが狂いがちな自覚があるので、何とも)
つまり天伝と維伝の走馬灯が多かったかな。それはそう。
試衛館走馬灯の背景がきれいな青空だったことも意図的だと思うんだよなあ…青空のつはものってことでしょう? あの慶応甲府では、みんなつはものでしたねということだよね?

以下、思いつきメモ。

前にこういうことを書いていたんだけども、とーすてくんの特命調査の話は、ゲームの通常面とはちがうマップ攻略法をどう再現してくれるかも楽しみなんだよね。維伝で感動しすぎた部分。たしかにそのマップ回ってる時そういう感覚だった!という。甲府城攻略マップ、こんな突破の仕方してくると思わなかった。「当たってはならない存在に当たらないように工夫する」のではなく、「真正面からたのもーうして、話をして押し通る」……。
今まで、原作ゲームに忠実にやってきたぶん、この「別ルート」際立ったなあと思うし、劇中で監査官さんがおっしゃっていたようにこんな特命調査慶応甲府、本当に他にはないんだろうな…。

まあ、とーすてにおける「対話」は第一に「刃持て語らおう」であるので、そして今回、新撰組のみなさん、みんなもう存在がかたなであるため(永倉さんが「俺たちは使われてきた」と語ったことも、近藤さんのためなら斬りますと言い切った沖田くんも、みんな自分を誰かのかたなとしているあらわれだったと思う)(ここで廻り出す義伝の走馬灯…大倶利伽羅…)あるじvs愛したかたなという対話カードが連続多発することになり、見ている方の感情もかき乱される、という…。
そうそう、沖田組会話の「向き合え、ってことだよね」でハッとしたんだけど、刃持て語らうときって、物理的に向き合うことになるんだよね、どうしたって。横並びや、背を向けたままではできない語らい。そういう、ことか…と、はじめて気づいた…。

それで、あの、とーすてって原作内のセリフを様々な場面にバシイッと効果的にはめてきて、うわああああってさせることが多いんですけど、今回、あの、土方さんが兼さんのセリフそのまま言い放ったの、新しかったし、めちゃくちゃぐっときた。一瞬、兼さん? えっ、土方さん?ってなるくらい、言い回しも似ていて、つまり、兼さんは…ということじゃん。
あと、監査官さんの「少し泣く」と、やっさだの「僕を愛してくれる人は~」、今までずっと、ようわからんセリフだなって思ってたんだけど、心伝のなかでめちゃくちゃ理解できる文脈で発せられていて、刺さりました。ありがとうございました。

あとは今回、舞台上にいる人たちがみんなやたらめったらでッかくて深くていい声の人が多くて、開演からしばらく???となっていたんだけども、その中でひとり突出して末っ子みたいな声で喋る沖田くんが、めちゃくちゃくっきりしていてよかった。さらにこの沖田くん、おおむね4形態?あるんだけども、ぜんぶ声がちょっとずつ違う…気がした…。
これ、通じる友人には初見の感想として言ったんだけども、新撰組の末の総領娘みたいな沖田くんでした…。

※剣劇三国志の配信見ててよかったなとうっすら思った。(たいしじさんが無口親戚お兄っぽいキャラで、今回のおきたくんがみんなの弟っぽさに満ちていたため)(同じ人が演じていても振り幅があっての「今回はこれ」なんだなとわかって見ることができたというか)

そうそう、声で言うと、そねさん役の方、今回はじめて見たんですけど、たぐいまれなる和声声ですね…。普通にしゃべっているだけで多重録音みたいな響きがあるやつ。ピアノではなくハープシコード。クラリネットでなくオーボエ。いい声だな…と聞き入ってしまった。

以下、前提情報ですけど、幕末/維新エンタメを回避しがちのわりにはまあまあ知ってる人類、で要約される。20240620224640-yaburing.png

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まほすて音楽祭。「中央の国・魔法省」主催なのに、王弟殿下がだいぶ働いていらしたの面白かったな。雑務をこなすヴィンセント……(我が子を喰らうサトゥルヌスの語呂)
もしかして我々は近隣諸国からの招待客だったのかもしれない。それなら殿下におもてなしいただいたのもわかります。円盤にも是非、殿下の会場アナウンスぜんぶ収録いただきたい。
(もしこのまままほステが2部まで続いたら、「main story 2」の音楽祭の主催は西の国じゃん…と同行の友人と話していた)

おおむね、『ダイジェスト:1~3章』の構成。賢者による振り返りという設定で、司会進行がドラククちゃん。途中、音楽的なお楽しみコーナーとしてリプライズを味わおうタイム。アンコールとして(アンコールではなかったけど実質アンコール枠)賢まほお披露目パレードでラフに楽しむタイム、ファンサ的なものはぜんぶこの枠に押し込められていたの、正解だと思う。
ペンラの販売が告知されてからペンラ??とおそれおののいていたけれど、ぜんぜんまっとうにオケコンだった気がする。音響はハコのわりに頑張ってくれてるのかなという印象(昼夜とも3階席)(たまに水槽音響になるのは致し方なし)、マイクでトラブってたのがぽろぽろあった。これは昼より夜のが良くなってたので、ラストの配信回までにはきっちり仕上がってるといいなあ。
(そりゃ大前提として、オケならオケ向きの会場でやってくれというのはあるが)

『ダイジェスト:1~3章』、何がすごいって、役者さんたちの「今のスキル」「今の解釈」で1~3章が見られるということ…(ベテラン枠のみなさまはもとから出来上がってるので、あんまり差分は感じないけども)曲のみになってるものと、曲間の演技パート含まれているものとがあったけど、特に後者。
「硬軟」に幅が出たネロさんによる「夢見る明日」が…いや、前とぜんぜん違っ…となったな。その前のフィガロ・ファウストのシーンも、ベテラン枠のふたりだけども、前と決定的に変わってるところあった…。
あと、スクリーンに過去映像が出てきて走馬灯するんですよね…何人かキャスト変わりしているけども、新旧キャストがどちらも「いる」。最初に、大森さん賢者と新さん賢者が舞台上/映像でかぶせられた時、なぜかぼろっと涙腺にきてしまった。この音楽祭のおかげで、交代後キャストさんたちでメインストが見られたの、良かったなあ…。
ニコラスいなかったのは本当に残念だけど、ニコラス役の方、今、新宿で走馬灯してはるからな…(先週先々週はそちらを観に行っていた)

墓地ミュは最高です。

ペンラのこと。
日頃ペンラ現場など皆無だし、オケやで?とも思っていたため、造形がかわいいから自宅に置ておきたいなというだけでペンラ販売列に並んだし、実際、舞台上に意識持って行かれていたらペンラに構うよゆうなどはなかった(半分以上の時間は消灯させて膝の上だった)が、ヒースとクロエは応援したい気持ちで灯したし、今、会場を青く染めたい! 白く染めたい!という気分で点灯できるところもあったので、買って損はなかった。
ペンラ無くてもぜんぜん問題なくたのしめる上で、ペンラも存在しているよという感じだったので、わたしはわりと好きな雰囲気だった(3階席だったから会場俯瞰できれいだな~、できたのも良かったと思う)

ていうか、円盤夏か~と思ったら来年夏??? 冬のとセットなんか…
あの、円盤出るまで配信アーカイブずっと売っておいてもらえませんかね…ダイジェストだから、入門編としてもめっちゃいいと思うんだよな~

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配信見ながらメモ。明日はリアタイできないので。

生と配信の差なのか、音響の調整なのか、それとも「そうなった」のかわからないんだけど、ブラッドリーのセリフまわしとか声の出しかたがけっこう変わってる気がするな、抑揚でいえば抑えめに感じるし、こっちのが好き(とはいえ、配信だと表情がぜんぶ見えるからむしろ濃い口な印象になるのおもしろい)

圧死させるところだった→宝の下敷きにするところだった
これは変更正解だな~! 耳から「アッシ」だけで場面の経緯よみとるのわりと難易度高くないかと思っていたので。

仮面はあんまり変わった感がないというか、むしろ、お疲れかな?頑張れ~みたいなところがあったんだけど(おそらく最初からピントの合ったものを見せられていた)、盗賊は全体的に銀劇よりチューニング合ってきて良~と感じる。

これはコントというより大喜利あるいは押韻戦。
ひまわりのミチルの言い方で、な、なしてそげに?って思ってたところも、だいぶ抑えめになったな。気になってたところが変わってるっていうことはやっぱり気になるところだったということなんだな(?)
あと、なんだろう…ネロの声音の…やわらかいところがすごく…やわらかい…え、これ音響?! ステネロさん、発声の硬軟のレンジがわりと硬のほうに広いタイプと思っていて、ここの部分あるとは…あるとは…

明日は刀ステ現地だから今日の配信見てたけど、来週土曜はまほオケだし、スエフェスのアーカイブはいつ見ればいいのか…平日だと分割かな…

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ありがとうありがとう〜!
有償単発くんが仕事してくれたので「今だ!」とそのまま10連で勝ち申した。
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実際のスマホの画面はアレな見た目になってるんだけど(不具合)、スクショにはそれは映らないからふしぎな感じ。

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前に使ってたときと違って、今はXperiaの電池も性能良くなったね〜…と、褒めた翌日にスマホの画面に不具合が出た。いやゆうべ褒めたばっかだが…コントかな?
購入履歴を見たらきっかり2年前の6月から使っている。ソニータイマーって優秀だなあ!
だいたい7、8年のうち2年はXperiaを使ってるくらいの使用率だと思うが、2年で使えなくなるので2年以上にならない…。次に使おうかなとなるタイミングのとき、Xperiaは、そもそもすまほという物体は存在してるのかな…

そして、やっぱりかたちあるものは壊れるんだよ、ローチケくん。月末のチケットが2公演ぶん入ってて、言わんこっちゃねえのよと笑ってしまう。

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とーすて今日の夜配信見るか見ないかどうしよう…
ひとまず特命の回想シーンおさらいしてた。
とーすてくんの特命調査の話は、ゲームの通常面とはちがうマップ攻略法をどう再現してくれるかも楽しみなんだよね。維伝で感動しすぎた部分。たしかにそのマップ回ってる時そういう感覚だった!という。

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ゆうべ、帰り路の空気と温度がきもちよくて、最寄り駅前でチキンとお酒買って飲み歩きながら家まで帰ってしまった。6月の夜は気持ちがいい。毎年6月に野音でライブやってたバンド(故)のことを思い出した。

drop

やっぱりそこ端折っちゃうのか~!は感じたけど、折々、「間」がすごく良くなっててそのおかげで伝わりやすくなってるところはあった、そこはよかった…。
あと、ひさびさに1階観劇だったせいなのか、舞台上のこなれなのかわからないけど、歌すごい飛んで来たな。力をもって響いてきた。
全景席好きだし、A席に愛されし者(称号)だけども、たまには1階に入れるといいな、座る場所によって見えるもの聞こえるものが違う。
(そういう意味では今回上手側だったのありがたかったな。キッチンのしつらえが上手側だし、フィとファのあれも上手階段まわりなので)

「見えないスノウ」の不在の存在は気になったり気にならなかったり場面によるんだけども、「ホワイトがいるということはつまりスノウは健在」なので、逆じゃなくてよかったなというのはある…4周年ストになってしまう…
大阪はふたり揃えますように。あと、次からは休演日もちゃんと確保してな。

帰路、盗賊とひまわりを直結にしたゆえに感じ取れたあれこれ…イベスト読んでたときには気づかなかったあれこれ…を語ってしまったが、宝剣とひまわりを直結にすると出てくるえぐみとかもありそうだよね、とも思った。さまざまな可能性。

昼観劇のおともだちとマチソワ間にちょっとお話しできて、おもにTRUMPシリーズをご案内する係になっていたりもした。わたしもりりうむ以外は円盤買ったわけじゃないからそんなに詳細には語れないんだけども。

深海魚の目
腕立て伏せ
ステを見てきたからフルボイスエチュードを摂取していたんだけど、今回のステ、セリフの取捨選択のセンスでちょっと気が合わないところがあるかもな…
原作復習した状態であしたもういちど見るので、どう感じるか確かめてこよ。
(2024.6.7(Fri) 20:48:01)
aqu.a-scape.net/?postid=71591

#mh

drop

20240607204801-yaburing.png魔法は心で使うものなら、今や、21人分の魔法の大元をネロが作っていると言っても過言ではない(たぶん過言)
ひまわりでのセリフだから、実際まだそこまでではないと思うけども。

ステを見てきたからフルボイスエチュードを摂取していたんだけど、今回のステ、セリフの取捨選択のセンスでちょっと気が合わないところがあるかもな…
原作復習した状態であしたもういちど見るので、どう感じるか確かめてこよ。
#mh

drop

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うっかり誰かに遭遇するかもしれないから、外で晩酌するときは念のためつまみを多めに作っているネロさんなのかもしれないと思ったりした。

祝福されたお別れをすることができなかった人という側面もあるんだと思うんだけど、だとしても、自分が情をかたむけたものに対して門出を祝ってやることができる、その気持ちを持つことができる、というのはいいな…。(そういえば、最近別のところでも、自分が求めて得られなかったものを次代に手渡してあげるひとを見てきたのだった…)
(さらに言えば、「今は」ネロさんが東の魔法使いたること、飯屋としてひとり立ちしていることに対して、彼の背後に注がれる祝福を込めた視線がたぶんあると思うんだけど、それは彼にとってどうなんだろうな…気づく気づかない、受け止められる受け止められない、意味がある意味がない…今更ではあると思う)

魚の骨取り係って、何…???(いつまでも言う)

#mh

drop

まほステ諸々メモ。随時追加。もういっかい見るし、それもここでいいか。


・観劇前はあえてイベスト復習していかなかったので、今ぽつぽつ読んでいたけど、やっぱり、盗賊の北3飲み会でオーエンがブラッドリーをかわいそうって煽るところ、かなり端折られてるよね。個人的にはあそこで、似たようなことしてるのにおまえだけが悪だと陥れられている、っていう示唆があるの、めちゃくちゃ大事にしたい部分なんだけど、まあ説明的だし複雑にはなるからな…
・乾杯のグラスが光る演出、乾杯・極か?ってちょっとおもしろくなっちゃったけど、ホワイトSSRのスチル絵でちゃんと光ってるんだね、グラス。再現だった。

・お引っ越し!ってみんな鞄とかトランクとか持ってるとき、バスケット持って出てきてる飯屋さんおもしろすぎん?(このあとシャイロックもバスケット持っていて、店主たち??とハテナマークを浮かべた)(このふたりを「店主」でくくるのだいすき)(ティカさん入れると無限ワイントリオになる)

・休憩前に(盗賊のラストにかぶせて)縄出してくるの、やっぱりちょっとバグ感あると思う。

・フィガロとファウスト、イベストよりステのほうがちゃんと喧嘩できてる感じあるかもしれない。
・あのシーンでBGMが夢見る明日なのさあ…

・盗賊からひまわりに直に接続することで(さらに各パートの収束を全体の最後にまとめてもってくる形になっていることで)晩酌断られて荒れてる人から、晩酌に誘われて「断ったりしねえよ」って笑ってる人に描写が繋がっちゃうの、すごいな、って思った。まほすてのこういうところ…好きだよ…。
・さらにそのうえで、「くじ運が悪い」があるんだよな…

・仮面と盗賊のあいだにテーマとして「本質」が通じていて、盗賊とひまわりのあいだに「乾杯」が通じているとしたら、後者ってニアリー「元相棒」ってことでは?とおもっちゃうのはわたしのバグだな。「一緒にいられないやつでも一緒にやっていく」の方だと思うよ。
・「一歩め」が盗賊に出てきたかを確認したいかも


・魔法舎で仮面舞踏会が開かれて、仮面を付けた21+1人で「仮面の下にしまいこんで~」って歌うのもすごい…「見極める本質」だの「新しい自分って誰のこと」だのと歌ってきて、ひとつ屋根の下での友だちづくりも、やっかいな隣人はただの敵もやったうえで、かりそめの一夜のパーティ見せてくる…

・ドラククの開演前アナウンスは45分前・東の国に言及、30分前・北の国、15分前・西の国。終演後の退場アナウンスの流れで次回、中央と南についても言ってくれる。
・はじまってすぐの日程で入るのも、マチソワしたのも初めてなんだけど、けっこう細かい修正入るものなんだな…。オーエンの例のセリフのところ、夜のほうがきもち0.5呼吸ぶん間が置かれていた気がする。
・夜の方が音響ききやすかったのは、センターに近い位置だったからかも。

夜の先には何が待つ
希望の朝か憂鬱な運命か
かたく瞼を閉じていても
呼吸を止めても
暗い部屋に閉じこもっていても
容赦なく夜は明ける朝は来る
拒むことはできない

音もなく夜は明ける
日は昇り一歩目を踏み出す朝

折りたたむ


#mh

drop

まほステの今回のパンフ、表紙を見た第一印象が「ヴァニタス」だったの、仮面(と書物)が描かれているせいなのではなかろうか。髑髏にも仮面にも眼窩があるからパッと見の印象が似ている。顔の内側におさまっているものと、外側に装着するものだけど。
……とか思いながら、燭台(蝋燭)もわりとヴァニタスモチーフっぽいけどどうなんだろう? と検索かけていたら、「シャボン玉遊びに使う麦わら」がヴァニタスモチーフだと書かれていて唸ってしまった…。
今回、演出の一環としてずっとシャボン玉使われているんだよね。幕が下りているときに映し出されているタイトルロゴの背景にもシャボン玉があしらわれている。
なぜシャボン玉なんだろうな、と舞台見ながらずっと考えてて、エチュードシリーズって、お話の7割が魔法舎でのやりとり、ラスト3割が任務、くらいの描かれ方をしているから、何でもない日常=日々の泡沫、みたいな感じかな? くらいの気持ちでいたのだけど…。
ええ…ヴァニタス…いや、「泡沫」もそっち側の言葉ではあるけども…。フィガロさん、フィガロさんはどう思います? ちなみにヴァニタスって賢者の世界の古い言葉で「むなしさ」を意味していて、絵画のジャンルとしては、まあ、諸行無常っぽい概念を織り込んだ静物画を指すんですけど…。

いやまあ、それはともかく、今回のパンフとても好き。
子どもの頃親の本棚からひっぱりだして眺めていた美術全集が、額装できるポスタータイプのしつらえだったんだよね。あれを思い出した。
(額装できるデザインにおさめられているファウストってちょっとセンシティブ案件の気もするけども…)
x.com/mahoyaku_stage/status/179575697841...

#mh

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オペラシティで宇野亜喜良。想像以上にすごかった。宇野さんのイラストってぱっと思い浮かぶ個性的な画風があるけれど、こうして作品数を並べると画風は変遷しているのでなく自在に使い分けられており、画風も道具のひとつなんだなということを思い知らされる。202405251609536-yaburing.png 202405251609535-yaburing.png
あと、グラフィックデザイナーとしてすごい方なのもよくわかる展示だった。このマックスファクターのビジュアル群よすぎんか…化粧品がこんなイメージで売られていたこともよすぎんか…202405251609534-yaburing.png
舞台系のポスターも数多く展示されていた。202405251609533-yaburing.png 202405251609532-yaburing.png
BUCK-TICK
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何年か前に話題になったマジョマジョのなんとかメーカーみたいなやつのパーツ原画も置かれていた。
インタビュー動画で「生産」とくりかえし口にされていたのも印象的だったな。「編集、注文主のあらわしたいもの」をビジュアルに置き換えるという仕事を長くされてきた方だなという質感。

展示内容が網羅的なので、自分がいつ宇野作品に触れたのかが自然と思い起こされる。わたしが最初に出会ったのは『詩とメルヘン』だと思うんだけど、いちばん馴染みがあるのは『ユリイカ』の表紙なのかも。
オペラシティは6/16で終わるけど、そのあと館林に巡回があるようなので館林で見るのもいいかもね。館林はよい館。

松濤をはしご。松濤、11月末から須田悦弘展があるようだ。
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drop

まほぱまつりありがとう…実装当時天井する余裕なくてあきらめたやつ…好きな顔してるからほしかった。これでホームに練習着姿で居てもらえる。
出そうなときに引くというこころの余裕は必要だな…流れが来てると思ってもう1ステップまわしたら夜背景だったし。このシノとミスラさんも好きな絵。
あと、まほぱは完凸すると金特性ふたつ付くからな。強い覚醒のためにも。202405222126441-yaburing.png 20240522212644-yaburing.png
そして単発でしか出ないまほナンバーワンのかた。最初に20連したの間違いだったかな…いや、イベガチャだからSRが欲しかったんだが(出てない)202405222126442-yaburing.png
#mh

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ドキュメンタリーとアートを分けるものは何だろう、とずっと考えていた。(ヨコトリ2024、おもに横浜美術館展示を眺めながら)
世界にあるものをすくいあげて問題提起することは、どちらにもできる。ヨコトリはいつもそうだけれど、今、世界に存在する問題が会場にさまざまあふれている。
今回、そんな問題たちをそのまま写した動画作品が複数あり、作家の視点が「何を撮るか」にしか反映されていない作品は、ドキュメンタリーと何が違うのだろうか、と思ったのだった。
人の集団と人の集団の対立、衝突が映し出されたいくつもの映像のなかに、とある地域で過去に起こった衝突事件を、当時の当事者たちを集め当時とは逆の立場で演じてもらって再現する、というものがあった。これは疑問を抱くまでもなくドキュメンタリーではなくてアート作品なのだと感じた。つまり、「介入」なのかなあ…。作家の意思と覚悟による世界への介入、解釈。ドキュメンタリーに覚悟がないというわけではなく、性質として求められる「対象との距離」が違う? のかな? というような。
そのあたりでキャプション含めていちばん印象に残ったのは富山妙子作品たちだったように思う。表現をする自分と表現対象との関係への疑問、苦悶、格闘…。

館に入ってすぐのところに、電子書籍を写しだしたタブレットが並べてあったの、ちょっと象徴的だったのかも。それは提示だけれども展示とはちょっと違うんじゃないか。

その他の点では、全体的に「テーマの通底」というのがすごく薄くて、あまり感じられなかったような気がする。魯迅はちょいちょい出てきたな、くらい。大きめの会場内にさまざまなギャラリーが出店しているフェア系に近い感触だったな。
あと、音に敏感な方にはしんどいかもしれない。どこにいても聞こえる大きめの音がひとつ、断続的に鳴らされるけたたましい音がひとつ。(前者については、否応なしに耳に押し込められるということ含めてのものだったと思うので、是非を言いたいわけではないんだけど。これがしんどくて会場にいられない人はいる、と思ったので)

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家族が六本木のギャラリーで見てきた展示のリーフレットを読んでいた。パレスチナの詩人たちの詩。最新のものは昨年秋にSNSにポストされたもの。作者はもうこの世にはいない。生きることの困難、身近な死。言葉を託されたものは、託された言葉とともに生きなければならないのか…。そうなんだな。そうだ。

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まさか人生においてコミュ力を褒められることがあるとは思わなかった。あとでぐったりきたからがんばってはいたんだとはおもう。たぶんね。

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昨日の記録。天王洲で寺田のギャラリーをぶらぶらしたのち、寺田のWHAT MUSEUMへ。展示内容を思い返しつつ、法隆寺から始まって宇宙までだなあと思ったところで、タイトルがそのままだったことに気づく。建築系の学生さんとかもたくさん来ていたのかな。賑わっていた。
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202405120856433-yaburing.png初っ端から衝撃を受けたのが、法隆寺創建の頃には大自然から得られる材そのままの強さに頼った構造(五重塔の心柱構造)で建てることができたが、東大寺の頃には森林資源の枯渇により、小さく分割した材による構造に変わったと書かれていたこと。法隆寺→東大寺って150年くらい…。枯渇…もはや…?

202405120856432-yaburing.pngこのあたりは未来感のある展示。

202405120856434-yaburing.pngオーサグラフ図法のペーパークラフト地図をお持ち帰りできた。球体→平面への変換にあたって面積・距離のゆがみを極力おさえ、どこを中心にとることもでき、球体上を移動するのと同じようにどこまでも連続してゆける地図。
(世界を見る「目」を変えた新たな地図、オーサグラフ boundbaw.com/world-topics/articles/12

【長編】KOZO 26人の構造家インタビュー youtube.com/playlist?list=PL7e1eQRQGS0tb...
会場でも流されていたが時間が長かったのでリンクだけ読み込んで帰ってきた。これから見る。

20240512085643-yaburing.pngおいしいキャラメルプリン。やわらかめでたまごを感じる上部と、しっかりめでクリームを感じる下部の二層構造。

202405120856431-yaburing.pngモノレール、キキララちゃん様コラボ中。

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